第一章・シェア

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「っはー、風呂お先ぃ。」 「お、タイミングいいねぇ。今出来たよ。キムチ鍋。」 「鍋かぁ、やっぱ寒い日は鍋だよねー」  にこにことさっぱりとした洗いたての顔で、アキくんは鍋の立てる湯気の向こうで笑う。土産にと持参したビール片手にすっかりご満悦の顔だ。  俺が継ぎ分けてあげる肉とか白菜とかを摘まみながら、アキくんは今日の出来事を話してくれる。机の前でパソコンの前に齧りついたままで一日が終わってく俺のために、外の景色を垣間見せてくれる。  学校の玄関の梅の花が咲いてたこと、インフルエンザでマスクしてる生徒が多いこと、受験シーズンでワックスがけには気をつけるようにと云われてること(滑るってことでね)、ここに来るまでに青星を見たこと。  俺は実際に目にしていないのに、彼の話を聞くだけでしあわせになれる。いつもの街の景色を、アキくんが見てきたことを話してくれてるだけなのに。そして聞くとちょっとほっこりと嬉しくなるのがいつも不思議だった。 「ユズ、呑まないの?」 「んー……まだ書きあがってなくってさぁ……」 「そっかー……締め切り、って……近い?」 「んや、過ぎてる……」 「うーん…………それは、アレだねぇ」 「アレでしょう? だから、アキくん、呑んじゃっていいよ」 「悪いねー」  アキくん、白めの肌がビール飲んで赤くなってってる…………湯気越しに妙なとこに気付いてしまった俺は、慌てて浮かんだ言葉をかき消した。何考えてんだよ、アキくん、男なのに。俺も、男なのに。  赤くあたたかで辛い食べ物を囲みながら、俺はやっぱり終わらない仕事のことも考えてはいた。  さっきも言った通り、締め切りはとっくにぶっちぎってる。今日の昼間も三回は編集さんから原稿催促の電話があった。そのすべてに俺はただただぺこぺこしてるしかなかった。しがない、替わりなんていくらでもいるような作家の筆の進み具合なんて、向うからすればただのお荷物でしかないんだから、俺はただ謝るしかないよね。  小説で食ってくことを決めたけど、現実はびっくりするほど甘くなくて、しかも下手に新人賞なんて獲っちゃったばかりに、次の作品への周りの期待度は並大抵のもんじゃなかった。  ただぽっと出の学生上りなのに、連日インタビュー受けたりなんかもしてさ…………表舞台に引っ張り出されることなんて全然得意じゃないのに。みんなにとってそういう俺の気持ちの揺れみたいなのってどうでもいいんだろうなってのは解ってた。  解ってる、つもりだった。ただ、みんな新しくて珍しいからちやほやしてるんだよなってことも。  だけど、ちやほやされてしまうコト、周りがどんどん変わってくコトに不慣れな俺は、あっという間にそういうのに呑みこまれてしまったんだ。  自分を見失って、信頼とか期待とか得たものは瞬く間に擦り減ってって、気付けば碌な文章も書けない状態になっていた。それが、いまだ。新人賞を獲った時に得た「貯金」も何も尽き果て始めた、辿り着いたいまだ。  俺の手許には何もない。ただ昔取った杵柄が錆びついてあるだけで。好きで仕方がないことを仕事に出来たしあわせを感じてるくせにモノにできていない、ポツリとした薄墨の俺。  向かい合う画面は、原稿は、どうしても白いままだった。書いても書いても自分の言葉じゃない気がして……そしてどんどんどんどん仕事は遅れてく。  この前、雑誌の担当さんから、「最近ちょっと読者の反応がイマイチでー……」って言われたりしてるから、本当にちょっと頑張らなきゃいけないんだろう。  わかってる、わかってるよ……でも、書けないんだ、全然。好きで好きで仕方ない物語を作っていた頃みたく、書けないんだ。いまでも、書くことと物語を綴ることは好きで仕方ない筈なのに…………なんで、こんな、疲れて仕方ないんだろう。
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