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片付けが終わったのは夜の十時過ぎで、よろよろと机の前に座って再び集中すべく気合を入れる深呼吸。書きかけてた文章をざっと読み返して、もう一度資料に目を通して、いざ。
―――――って言うその時、背を向けてる玄関からインターホンが鳴った。
こんな夜中に来るなんてどうせ碌でもないヤツに決まってる…………そう思って無視を決め込んだんだけど、しつこくインターホンは鳴り続ける。
更に無視しようかと思ったけど、隣近所のこともあるから渋々覗き穴から相手を窺ってやることにした。そして、レンズの向こう側を見て思わず驚きの声をあげてしまって、思わず鍵も開けてしまった。
赤色のオレンジの髪が、息弾ませてそこに立っていたんだ。
「……なに、どうしたの?」
「ごめん、遅くに。仕事中?」
「え、うん……」
「あのさ、コレ」
戸惑ってる俺に、アキくんが差し出して来た物。それは、ふわふわにあったかで甘い匂いのする食べ物とわかるものだった。
「陣中見舞い、ってことで。家の近くで屋台見つけてさぁ、買ってきた。急いで持ってきたからさ、まだあったかいよ。」
アキくんはそう言って照れたように笑った。触れただけでそれが甘くやさしい味と判る食べ物と同じぐらい、その笑顔は俺の疲れた心に沁みた。沁みて、沁みて、俺の心の奥深くを強くつついた。つつかれたそこはとても痛くて……思わず涙が出てしまった。
「ユズ?え、ちょ……大丈夫? どうした?」
突然声もなくはらはらと泣きだした俺に戸惑うアキくんの声が廊下に響きかけたから、とりあえずアキくんにも中へ入ってもらった。そうしたところで状況の気まずさは変わらなかったんだけど。そろそろいい歳の男がいきなり泣くなんて奇妙過ぎる状況、戸惑わない方がどうかしてるけどさ。
何も言わず泣きじゃくる俺を前に、アキくんは最初こそ戸惑っておろおろしてたけど、何を思ったのか、ふと、そっと、俯いてる俺の襟足の辺りを撫でてきたんだ。後頭部からそこら辺にかけて、そっと。
ポンポンと、一定のリズムを刻むように撫でてくれてる手の感触に曳かれるように、俺の口は勝手に開いて、勝手にぽつぽつと語り始めていた。
「…………書け、な……いんだ……なんか、もうすっご……く、疲れるんだ、書くの…………好き、なのに……」
「……うん…」
「だか……ら、すっげー……考えて、考えて……でも……書け、なくて………………」
「………うん……」
「もう、これ以、上編集さん迷惑かけ……たら……も、これ……から、仕事、なくな、かも……って……」
「―――言われたの?」
俺はアキくんの言葉に首を振った。実際に面と向かってだったり、メールや電話で言われたワケじゃない、はっきりとは、ね。
だけどわかるんだ、向けられてる言葉にはそういうニュアンスな言葉を多分に含まれてるってことぐらい。わかってるんだ、わかってる………俺が、頑張らなきゃいけないことぐらい。
でもできなくて、その上、ご飯の事とか色々しなきゃなーって考えてたら………なんか、すっごい疲れてきて。
好きで好きで仕方がない仕事なのに、その合間にアキくんがいる風景が嬉しかったのに…………どっちも、なくしたくないのに……口にしてしまう言葉はいつも冷たいモノばかりなんだ。頑張らなきゃ、考えなきゃ……でも、疲れたよ、なんだか……
「ユズ。」
涙の狭間に途切れ途切れに語っていた俺の話が終わった時、暫くの沈黙があって、そしてアキくんが俺の名前を呼んだ。
顔をあげてかち合った眼は、今までに見たことがないくらいに切ない色をしていた。苦しそうで、何かを堪えているようでもあった。
なんでアキくんがそんな顔してるのか、俺には全然わからなかった。だってさ、苦しかったり痛かったりするのは、少なくとも俺の中を出ていない筈だから。
いくらアキくんが俺のすぐ近くにいて、俺の襟足とかを触ってるからといっても、それが伝わるわけがないんだから。なのに、それが伝わっているかのような顔を、してるんだ、アキくんが。
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