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第一章・シェア
「―――――…………っだー……無理だ、書けねぇ……」
出来てない目の前の事を実際口にしてしまうと、本当に自分にはそれが無理な気がしてきてしまう。やっぱ、向いてないんじゃないかなぁって、好きだけじゃ無理なのかなぁって、いまさらに。
白いままの原稿、ネタ帳のメモ、開きっぱの資料と称した本の数々、煙草の吸殻が山の灰皿。色味のない景色も自分の中に残されたささやかなやる気を削いできそうで、イヤになる。
阿藤柚樹、世に言うアラサーっていう世代。何年か前に書いたティーンノベルスとかなんかで新人賞を貰ったきり、特に代表作のないしがない物書きって言うのが俺だ。
そういうことで、取り扱うジャンルは所謂若者向けっぽいのが多い。ちなみに今書いてるのもそういうような話だ。今どきの学生の恋とか日々とか友情紛いなものなんかを淡々と綴ってる。
日々は何とかもらえてる雑誌の連載と、時々頼まれるコラムをちょこちょこ書くことでどうにか食い繋げてるって感じ。特に売れっこでも、期待の新星なんてものでも既になくなってしまってる、そんでまぁ、ついでにちょっとかっこよく言えば、スランプ中ってヤツでもある。
認めたくなくても認めざるを得ない現実の色々を見たくなくて、ふいっと眼を逸らすついでに見上げた壁の時計を見て、俺は慌てて立ちあがった。
「っえぇ?!もう、8時半?!机に座ったのって昼前だったのに…………」
どんなトリック使ったんだよって言いたくなるような時間の流れの速さと、自分のぼんやり加減に腹を立てても仕方ない。
ぶつぶつ言いながら仕事部屋を飛び出て、俺は慌ただしく冷蔵庫と冷凍庫を開け放つ。暖房すら入れてなかった家の冷たさに今更に気付きながら、更に冷たい箱の中を漁る。
奇跡的に見つかった冷凍肉キムチのパック、萎びかけのネギと白菜、ギリギリ賞味期限オッケーな豆腐。あ、冷凍麺がある…………よし、これであとご飯炊けば何とか…………そう思いながら遅い夕餉のメニューをアタマの中で組み立ててると、すぐ横の玄関からインターホンが鳴る音がした。
鍵を開けると同時に、ふわりと冷たい空気が頬を撫でた。それから、夜の外の空気の匂い。
「ユズぅ! 腹減ったぁー」
「おつかれー、アキくん。……ごめ、まだ、出来てないんだ、ごはん……」
「あ、そーなんだ。んじゃあ……先、風呂入ってい?」
「うん。あがるまでに作っとく。」
やらかい笑顔で、「ありがと」ってアキくんは言って、そのまま風呂場に行ってしまった。
風呂は、朝すぐに洗っておいたから…………うん、大丈夫だ。それに、アキくんは風呂を溜めながらゆっくり入るのが好きだし(本を読みながらね)。だからその間に掻き集めた材料で急いで夕飯を作ることにした。今夜はキムチ鍋。
俺をユズって呼ぶアキくんは、笹井陽人っていって、同い年で、近くの中学で用務員さんをしている。
とても手先が器用で、ウチの台所にある調味料入れとか仕事部屋のちいさな本棚とか、そういうちょっとしたのは全部彼のお手製だ。なんかまとめられるよーなのが欲しいってこの前言ったら、学校で余った木材を持って来て、休みの昼間にベランダでさささって作ってしまった。その手際の良さと云ったら。
「色とか塗る?」って、出来あがってキラキラして見えるそれらを前に聞かれたけど、ペンキ買ってくるのが面倒だったのと、棚のそのままの姿がとても好きだったから、それらは今も素材の色のままだ。まるで裸のままみたいだってアキくんは笑ってたけど。
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