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街の境界線になっているくずれた東門をくぐる。
埋もれたレンガの道をたどると、人の生活を思わせる建屋や天幕がなくなっていき、開けた野原になった。
丘の上には厩舎がある。
マルクの牧場では牛と馬を飼っており、街では三本の指に入る牧場主だ。
動物特有のニオイがする管理小屋を訪ねると、奥からつなぎの作業服を着たマルクが出て来た。
「こちらの依頼を解決に来ました」
ぼくはギルドに印をもらった紙を見えるように提示する。
「ああ、ゴブリンね。|馬柵≪ませ≫が壊れる前に頼むよ。もう何か所もやられていて」と困った顔で指さした。
馬を囲う柵の支柱が連なり、角辺りで少し歪んでいるのが遠目でも分かった。
「巣が見当たらなくて、本当にどうしたもんか……」
「分かりました。詳しく調べてみます」
管理小屋の引き戸に触れたとき、「あ、あんた! 背中にゴーストが憑いているよ!」とマルクが大声を出す。
後ろを振り向くと、驚いて目が点になっているマルクがいるだけだ。
それでも「背中、背中」と言われ、二度振り返ると、目の前に蒼白なリタの顔があった。
「おわっ! 顔が近い!」
「……」無表情のリタ。
麻の寸胴服を着ているリタは、顔色と相まって不気味だ。
それにぼくの影に隠れるように、音無く付いてくるので、ゴーストと見間違うだろう。
マルクに仲間だと説明しても、完全に納得していなかった。
話しながら、はたと、本当にゴーストなんじゃないかとも思い始めた。
ぼくはリタに触れたことがないし、会話も厳密には成立していないのだから。
もし機会があれば、リタに触ってみるか。
柵の向こうには林があり、湿気を含んだ風が吹くと、木陰が重なる暗闇から落ち葉が舞い上がった。
高く設置された木柵は、近づいて見るとかなり傷んでいた。
指の長さぐらいの打撃痕もあり、少しずつ支柱が傾いてきている。ぼくは短刀のホルダーを前に持ってきて、いざとなったときに備えた。
陽は傾き始め、墨をたらしたような黒い雲がじわじわと空に広がっていた。
柵の外と内。範囲を徐々に広げても、なかなかゴブリンの巣は見つからない。
夕日が黒雲の隙間を真っ赤に染めて、世界の終わりかと思える絶望感が漂っている。
「見つからない……」
――正攻法では無理だ。
「そういえば、【捕捉】ってスキルがあったな……」
ギルドハウスのスキル相談所で読んだスキルブックに載っていた。
たしか、モンスターの場所を精確に知ることができるスキルだったような。
「リタ、【捕捉】のスキルって習得していないよね?」と二度振り返った瞬間、轟音とともに雷が近くに落ちた。
仰天したぼくは腰が抜けて、仰向けになると、リタが見下ろすようにのぞきこんだ。
ゆらりと片腕を上げて、林を指さす。枯れ木のようなリタの影がぼくを覆うように重なった。
バッッシャーン!! と、リタの後ろで再び雷が落ちる。
心臓が口から出そうだ。
現世で観たB級ホラーみたいに、歪なシルエットが網膜に焼き付く。
「あっち! モンスターがいるよ!」
耳元で鳥が叫ぶと、ぼくは反射的に飛び起きた。
「早く行け! のろま! 雨が降ってくるぞ!」
たぶんリタはそんなこと言ってないので、ウータイの意見なんだろう。たしかにすぐにでも雨粒が落ちてきそうなので、小走りで林に向かった。
腐葉土の上にいくつもの足跡はあるが、暗がりのなか何の足跡かはっきりしなかった。
「獣の足跡じゃないような……」
幾重にも踏み慣らされて、形がよく分からない。
慎重に進むと、がっさがっさと落ち葉をかき分ける音が聞こえた。
木隠れに一体の人型モンスターが穴を掘っている。
仄暗い老木の下を、赤黒く腐れた両腕が地面を殴りつけていた。
「アンデッド!」
思わず声を出してしまうと、這いつくばっているアンデッドの白目と目が合った。
穴を掘っているのではなく、埋まった下半身を出そうとしてあがいていた。出て来たアンデッドは、ぼくの身長の二倍近くある。アンデッドで上位のリビングデッドだ。
ぼくはすぐに踵を返す。
「リタ、逃げよう!」
見るもの聞くもの、初めての異世界で、生き延びてこられたのは逃げる判断が早かったからだと思う。
無理な冒険はしない。それが生き抜くための鉄則だ。
林の出口に駆けると、ふと右足首に違和感があった。
脚が絡まり、前方に倒れる。落ち葉の絨毯がクッションになり、鼻をぶつけただけで済んだ。
転がって足元を確認すると、爛れた手が足首をつかんでいる。
強い握力できつく握られて、そう簡単には外れそうにない。
もう一つの大きな手が横に並ぶと、ぬっと巨体のリビングデッドが目の前で起き上がった。
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