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生身の人間が集中できる数には限りがある。
まさか地面にモンスターが埋まっているなんて思いもしないから、逃げることに集中しすぎて注意が散漫になっていた。
いくつもの足跡が見つかったときに、複数のモンスターがいる想定をしておくべきだった。
リビングデッドは宙づりのぼくを高く持ち上げる。穴の開いて引きつった頬を上下に引き伸ばして、大きく口を開けた。
ぼくはナイフホルダーから短刀を抜き、足首をつかむリビングデッドの腕を切り裂いた。
しかし硬い木のような腕は切り傷ができるものの、リビングデッドは離さない。
黒ずんだふぞろいな歯がぼくの顔にせまってくる。
「やばいっ! だれか、助けて!」
短刀を振り回しながら、助けを呼ぶ。
辺りを見回すと、パタパタとウータイが飛んでいた。その下に視線を落とすと、リタがボーッとこちらを見上げている。
「リタ、誰かを呼んできてくれ……!」
リビングデッドは食うのを一旦あきめて、さらに高く引き上げると、地面に叩きつけた。幸い落ち葉のクッションでそれほど大きなダメージにはならない。
しかし、何回も叩きつけられると、そうはいかない。
カワセミは活きのいい魚を岩に叩きつけて、弱らせたあとに丸呑みする。ぼくはもう一度、地面に叩きつけられた。
意識が飛びそうになったとき、足首をつかんでいたリビングデッドの握力がふっと緩んだ。
体を起こすと、怨嗟の声をあげ、顔を覆うリビングデッド。
横には光を発するリタがいた。
広げて突き出した片手に、白い円の紋様が描かれている。柔らかな光の曲線から綿毛のように聖なるオーラがぽつりぽつりとあふれて、木々の間を舞う。
干渉しあう光と闇。リタの足元から聖属性の木の芽がいくつか顔を出す。
「聖属性の……魔法……」
初めて見る聖なる魔法に見惚れた。
リタはこともなげに手を回転すると、宙に描かれた紋章の中央から光の玉を撃つ。
リビングデッドは光弾にあたらずとも、灰になって消えた。
そして角度を調整すると、もう一度手のひらを回転させる。
林の奥に逃げようとしていた別のリビングデッドは、背中から撃たれて消滅した。
ふっと、円陣が消えると、浮いていた灰色の髪が肩にかかる。
汗をぬぐうでもなく、ため息をつくでもなく、リタはボーッと林の奥を見やる。
ぼくもボーッと、リビングデッドの灰塵を一緒に眺めた。
マルクにはゴブリンではなく、リビングデッドだったと報告した。多少報酬を上げてボーナスをもらったが、クエストDランクには及ばない報酬だ。
依頼内容と実務に食い違いがあった場合、ギルドのクエスト相談所で正規の報酬をもらうこともできる。
「ゴブリン退治だったんですが、2体のリビングデッドと戦うことになって」
「なるほど、何か証拠はお持ちですか?」
相談員は白髪をオールバックにして整えた、几帳面そうな初老の男性だった。
ぼくは林でかき集めた灰の入った小袋を窓口の机に置いた。
中身をのぞく相談員は、古めかしい片眼鏡を装着する。
「なるほど、リビングデッドの灰ですな。聖魔法で粉砕している……あなたが倒したのですか」
「いえ、仲間のリタが」
「どちらに?」
うしろに隠れているリタは、相談員から見えない。ぼくは回れ右をして、背後についているリタを見せた。
「あ、ああ……なるほど、この方が……」
もう一度回れ右をして、相談員と顔をあわせると、ぽかんと口を開けていた。
まあ、最初はそうなるな。
「それで、報酬の追加は見込めそうですか?」
「あ、えーっと、そうですね。最近、強力なモンスターが東周辺で出没しているので間違いはないでしょう。しかし、聖魔法を使うとは、別の街のギルドにいらっしゃったとか?」
「それはぼくも、最近一緒にパーティーを組んだので分かりません」
そこで話が途切れる。もちろんリタが会話に入ってくるはずがない。
それよりぼくは東周辺のモンスター情報を相談員に聞いて情報収集をすると、報酬の入った金貨袋をもらってギルドハウスを出た。
月がぼんやり街道を照らす。
酒場は相変わらず男共の胴間声を鳴らし、向かいのレンガ壁で反響している。月明かり下のバルコニーで、恋人同士なのか、氷の魔法で作った結晶をグラスに入れていた。
嬉しい重さの金貨袋があると、この異世界も捨てたもんじゃないと思えてくる。
「こんなに報酬をもらえた」
二度振り返って、二つの金貨袋をリタに見せる。
「山分けして解散しようか。明日朝に、ギルドハウスに集合しよう」
そう言って、金貨を二つに分けて一方をリタに渡す。
「じゃあ」
街の外れに借りている自宅に帰ると、改めて金貨袋をのぞき込む。
「すごいな、一人でこんなに稼いだのは初めてだ。しかも、たった一回のクエストで」
リタがまさか魔法使いだったとは思わなかった。【解呪】のスキルを習得するだけでも大変なのに、聖魔法まで使えるなんて。
短刀のベルトを外そうと背中のバックルに手を回した時、ふにゃりと温かく柔らかい感触がした。
「え……まさか」
二度振り返ると、目の前にリタの顔がある。
「どうしてついてきたの⁉ 家帰りなよ! 仕事は終わったんだからさ!」
「……」
相変わらずボーッとしてこちらを見ている。人の家に入って何も感じないのか。
しかもさっきぼくが触ったところは、たぶんリタの胸辺りだというのに、何一つ声も上げない。
「ウータイ! 青い鳥っ!」
もう深夜なので、寝ているのか、姿を現さない。ぼくも眠たくてつらい。
このまま家の真ん中で立たせておくわけにもいかず、椅子に座らせ夕食を並べた。
パンとウサギ肉のシチューという簡素なものだが、それでもいつもより豪勢だ。
「まあ、今回はリタのお陰で沢山報酬をもらえたから、食べてくれよ」
「……」
リタはパンを手に取ると、口に運ぶ。小さな口でカリカリと、乾燥したパンをハムスターみたいに齧った。
シチューを皿ごと取って、一気に飲み干すと、ふーっと息を吐く。少し寒い夜の空気に、白い風船のように浮かんだ。
頬が少し赤みを帯びて、リタは満足そうに微笑した。
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