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父になった人が、母の唇に紅を指していた。
泉希は、それを病室の外から、暫く眺めていたのだ。
――死化粧……――
そんな事をぼんやりと思いながら。
その唇が、まだ温かかったのか、もう冷たくなっていたのか、訊ねる事は出来なかったけれど。
◇
「妹尾先生、この度は……」
神妙な顔をした人々が思い思いの言葉を掛けて帰って行く。
喪主はただ、整然と挨拶を繰り返していた。
「泉希、大変だったね。身体に気を付けて、妹尾さんと仲良くな」
泉希のために来てくれた人々の表情は、皆一様に不安げだ。
それには理由があって、泉希の母親と妹尾先生と呼ばれた人物は、半年ほど前に再婚したばかりだったから。慣れない環境に、一人残された泉希を気遣ってくれていたのだ。
そして、お別れに来てくれた人々の数は、圧倒的に妹尾側の関係者が多い。それは、妹尾が医師として勤務している、大学病院の関係者が大半を占めているからだろう。けれど、まだ高校生の泉希の目には、何だか事務的な様子に映るのだ。
――医者と言うのも、いろいろと大変なんだろうな――
そう思う反面、大人の事情を顔に張り付けたまま、母の遺影に花を手向けて欲しくはないな、とも思うのだった。
そんな取り留めもない事を考えていた泉希の肩を、後ろから誰かが叩く。
「みずき」
その呼び方で、振り向かずとも誰かは分かる。見ると、やはり同じクラスの木崎光佑だ。
「ああ、光ちゃん、来てくれたんだ」
「うすっ、大変だったな」
当初、字面からは“みずき”と読めなかった事から、何だか独特な抑揚で呼ぶようになった、このとても背の高い友人は、割と小柄な泉希の肩にガシッと腕を回した。
泉希は光佑の呼び方が気に入っている。それは光佑の事がとても好きだからだ。
母親の再婚に伴って、この町の高校に編入してきたとき、席が隣り合っていたと言う事もあって、最初に声を掛けてくれたのが光佑だった。
『転校生とは仲良くしなさいって、小学校のときに教わったから』などと言う、持論を展開しながらニカッと笑ったのだ。その顔は、まるで天真爛漫な子どものようで、泉希もついついつられて笑ってしまった。
見てくれはデカくて、少し長めの髪が、地毛なのか染めているのか、アッシュ系の薄い色をしている。制服もある程度着崩している。
――もしかしたら、学校側からすると“品行方正な生徒”の範疇ではないのかも――
泉希は、そんなふうに思った事もあったけれど、暫くして、周りの生徒のみならず、教師からも好感を持たれている事に気が付いた。
でもそれは、当たり前の事なのかもしれない。
光佑の持つ、何ものも恐れず邪気の無いその健やかさ。泉希の内には到底ないものだったし、更に憧れのような気持ちさえ抱いたのだから。
けれど泉希は、そんな光佑にさえ自分の事は深く話していなかった。親が再婚したばかりだとか言う事はもちろん、母親が入院していると言う事など、つい最近まで、おくびにも出さなかったのだ。
「みずき、お前何も言わないからさ、こんなときぐらい俺に出来る事があったら言ってくれな」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。その気持ちだけで嬉しいわ」
そう言って、小さく笑う。笑っていてもその表情が不安気に見えた。
暫く、二人で取り留めもない話をしていたが、光佑は泉希が何かに気をとられている事に気付く。
「どうした?」
そう訊ねる光佑には答えず、ある一塊の人々を凝視している。
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