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                ◆◆      同じ日の夕刻、小関は朝から変らない蒼白な顔で外回りから帰社した。ため息と共に思い出すのは、昨夜のことばかりだ。  何より大事な恋人を傷つけてしまった。もっと言葉を選べばよかったのかもしれないと思うが、今更という話。あの時、必死に搾り出したような篠田の笑顔が脳裏にしっかり焼きついている。しかも。 「大事な部分、聞いてもらえなかったし……」  小関は思わず呟くと、再びのため息をもらす。 『二週間だけです。それだけだから、別れるんじゃないんです』  それが言えなかった。どうしてこう、自分は話が下手なのか、と思う。営業トークならいくらでも口先から出て行くというのに、篠田を前にすると駄目なのだ。整えられた髪に、細くしなやかな体、社内でもキレイと評される彼は、小関にとって理想そのものだった。嘘も偽りも許さない、真っ直ぐな目に小関は圧され、同時に惹かれる。途端に、小関の思考回路は速度を落としてしまうのだ。  ――ただ、あいつに篠田さんを認識してほしくないだけだったのに。  小関はデスクに置かれた新人研修の資料に視線を寄せた。このメンバーの中に、小関の従兄弟がいる。小関より二つ下で、高校生の時にあっさり「オレ、多分女抱けない人」とカミングアウトしたほどのツワモノで、その男の趣味もどうも小関と被るのだ。その上、小関はどうやら嫌われているらしく、過去を辿れば嫌がらせの数は計り知れない。  だから、篠田を近づけさせたくなかった。自分と一緒にいれば、何か勘付いて嫌がらせの矛先が篠田に向くかもしれない。それくらいなら小関が庇える自信があるから、いい。問題は篠田に惚れてしまった時だ。十分ありえる話だから、接触を避けたいだけだった。  ただ、それだけだったのに。 「なんで同じ会社に入るかな……」  呟くと同時に、営業部のドアが大きく開かれた。部長が顔を出し、「少し手を止めてくれ」と声を張る。デスクに噛り付いていた社員が一斉に顔を上げた。 「明日から研修に入る新人だ。二週間本社で実務を学んでから営業所に散ることになるが、大きく言えば後輩にあたるのだから、きちんと指導してほしい」  部長に続いて、ずらりと五人の新人が並んでいた。真新しいスーツに着られた彼らが、一人ずつ自己紹介を始める。 「橋元(はしもと)弘人(ひろと)です。よろしくお願いします」  その中に、大猫を被った従兄弟の姿もあった。気鋭な目にとがった鼻は生意気そうに見えるが、笑うと本当に楽しそうに上がる口角のお陰かその印象もいいように薄れる。本当は生意気で居丈高な物言いばかりする、プライドの高いガキだ。それを知っているのは親類と少数の友人だけらしく、普段は愛用の猫を被り続けているらしい。昨日の昼に橋元の叔母からの電話でそんなことを聞いた。そしてくれぐれもよろしく、と念まで押されてしまったのだ。しかし、よろしくなんかしてやるかよ、というのが小関の本音だ。弘人がこんなところに顔を出すことなどなければ、自分はこんな切ない思いをせずに済んだのだ。今頃だって、ほんわか今夜のことを考えていただろう。
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