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 ――もうちょっとで『ほろ酔い』の分量がわかるところだったのに。  ビール一缶で理性を飛ばし、淫らに誘ってくれる愛しい恋人は蠱惑的で小関の心などすぐに収攬された。 『小関の手、冷たくて気持ちいいな……おれ、今体熱くて――触ってくれない?』  手を取られ、その長い指で中指の爪先から骨を辿るようになぞられ、嫣然と微笑まれる。これで獣に変化しない男がいたとしたら、聖人君子とあがめてやってもいい。勿論、他の誰かが篠田に触れることなど許しはしないが、小関にとってはそのくらい、抗えない魅力だった。 『いいんですか…? 酔ってますよね、篠田さん』 『さあ、どうかな? よくわかんない』  小さく笑いながら自分を見上げる目は、妖艶だ。惹かれるままに小関は篠田の体に触れた。  優しい愛撫などほとんど出来なかった。篠田の喘ぎひとつ、漏らさず自分のものにしたいと乱暴に唇を重ねる。キスの間から自分を呼ぶ甘い声が何より愛しかった。 『小関……早く、欲しい……』  急くように篠田が吐息に言葉を乗せれば、小関の思考などどこかに吹っ飛ぶ。必要なだけの準備でがっつくように挿入した。煽るようにしなる篠田の体は淫らなのに崇高なもののようで、小関は加減が出来ないほど篠田にのめり込んだ。  時間の感覚もなくなるほどに愛して、煽られて、吐き出して、毎度のことと思いながらも濃厚な夜となる。小関はいつも、篠田に惚れなおし、満足して眠りに落ちていた。  けれど、大抵の翌朝気だるげに起きてくる恋人は、自分の体を一瞥して愕然とした表情を作る。 『おれ、またお前に……絡んだのか』  絡まれてなどいない、愛のあるセックスをしただけだと話しても、その表情の翳りは払拭されず、ただ「ごめん」を繰り返していた。それが寂しかった。本人にセックスの記憶がほとんどない、というのはあまりに寂しい。    かといって、素面で抱こうとしても恥ずかしいと抵抗されてしまう。だから、そのギリギリのライン――理性は飛ばして記憶は飛ばさない、そのアルコールの分量を、小関は目下実験中だったのだ。こんなことがなければ、次は梅酒ソーダとか、カクテルとか、と考えていたのだ。  小関はひとしきり過去の甘い記憶を呼び起こしてから、はぁ、とうな垂れる。そこへ部長の声が飛んだ。 「小関、お前橋元と親戚らしいな」 「はあ、そうですが」 「橋元は小関につけ。小関、気合入れなおして橋元の面倒みろよ。橋元が営業所から『使えない』って言われたら、お前のせいだからな」  部長の言葉に、そんな理不尽な、とも言えず、さらに周りは最後の新人の担当が決まってあからさまにほっとしているしで、小関は言葉を失う。 「よろしく、信くん」  小関のデスクに寄り、弘人は笑顔を向ける。小関も笑顔を返そうと努力はしたが、無理そうなのでやめた。代わりに、研修資料を手渡す。 「明日までに全部に目を通して。あと、ルートのリスト渡すから、地図で場所調べて大体でもいいから頭に入れておけ」  小関は立ち上がって、引き出しからファイルを取り出すと、その一ページをコピーした。慌てて付いてきた弘人にそれを手渡す。 「こんなに?」  その数に驚いた弘人に、小関は頷いた。  小関は決してできの悪い営業ではない。むしろ平均よりは少し優秀で、出入りしている病院やクリニックの数も多い。全部を毎日廻ることは無いにせよ、二日に一回は検体を集めに足を運んでいる。 「これでも少なくなったほうだ。検体回収効率を考えて、他に頼んだところもある」  営業は検体を回収し、検査室へ持っていけばそれで仕事は終わりだが、検査室はそこからが仕事だ。早く届けてあげるに越したことはないので、営業内部でもそうやって振り分けて仕事の効率を上げる努力をしている。 「ふぅん……もっと底辺でもがいてるかと思ってた」 「そりゃ残念だな、期待に副えなくて」  小関の答えに、弘人は「別にいいけど」と小さく答えた。 「じゃ、しっかり宿題やってくれ。それから、俺のことは『小関さん』と呼べ――敬語も忘れるなよ、橋元くん」  それじゃ解散、と小関はファイルを抱えてデスクへと戻った。立ち尽くす弘人の顔は、少しだけ屈辱に歪んでいるようにも見えた。
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