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オヤジがそう言うなり泣き始めたとき、とうとう僕の何かがキレた。
「うるせーな! ガキの恋愛じゃあるまいに!」
オヤジは、驚きで目を見張った。
「お前は自分に酔ってるだけだろ?」
「そ、そんなこと……」
「あるさ!」
オヤジが口を挟もうとするが、僕は彼の顎をひっつかんで軽く持ち上げた。
「ハガハガ、ハガハガ」彼は悶えたが、僕はその手を離さない。
「いいか? ここはバーだ。酔うなら酒だけにしてくれ」
奥で、知らない女の短い笑い声が聞こえた。
が、本当は誰もオヤジを笑えないはずだ。
このバーはある意味、世の中の縮図。
皆、まともそうなふりして、若者も中年も老人ももっともそうな持論を振りかざしているけど、実は酔っ払っている。
自分がいったい何をしでかしているのか、まるで分かっていないという点において。
時間、知恵や金、あるいは立場や肩書き、所有物に物を言わせて日々過ごしているが、所詮この世は宴会。
虚ろで大した価値のないことについて一喜一憂している。
たとえば、恋愛という脳内麻薬の存在を俯瞰できたら、死にたくなるほど相手を思うこともあるまい。
オヤジが急に、暗い目をして言った。
「でも実はさ、太陽のようにキラキラまぶしい彼女を思うとな、おいらの心にある影が濃くなるんだよ」
僕は思わず、小さく震えるオヤジの肩をつかんだ。
そして、黙って首を振った。
すると、オヤジは曖昧な笑みを浮かべて、それからうなだれた。
でも、オヤジだって一瞬は天国が見えたはずだ。
だから、ヒロエに電話を掛けたのだろう。
オヤジが言ったように、確かに自分が生きている今ここで、天国を感じることができなくちゃ、天国なんて到底たどり着けないんだ。
天国がどんなものかを知らずに、そこへ行っても、多分そこが天国だと気づかないから。
ほんの刹那でもいい。
そこにたどり着けたなら、Just へヴン、まさしく天国なんだ。
(了)
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