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「バンドやってたんだ?」
「はい、よろしければ」
人懐こい笑顔を浮かべたのは、本日派遣が終了し退社する野添拓海くんだった。
帰り際会社を出て歩き始めてすぐ、呼び止められ、一枚のチケットを手渡された。
ライブのチケットのようだ。
「いくら? お金払うよ」
財布をとり出そうとした私に野添くんは首を横に振る。
「これは御礼です、片瀬さんにずっと教えてもらっていたし。本当にありがとうございました」
「じゃあ、ありがたく貰っておこうかな。野添くんにはいっぱい苦労させられたし」
「で、ですよね、すみません」
「ウソウソ、優秀だったよ。契約延長して欲しかったなあ」
「俺もしたかったです、片瀬さんに逢えなくなるの寂しいから」
クシャリと細くなる目に見据えられたら、なんだか社交辞令もまともに受け止めてしまいそうでそっと視線をはずした。
「私も残念、会社にイケメンがいなくなっちゃうの」
クスクス笑った野添くんと並んで歩き出す。
「なんで延長しなかったの? なんか不服があった? お給料面とか、例えば社内で問題があったとか」
「そういうのじゃないんです。時給も良かったし、片瀬さんやシステム部の皆さん優しかったし、ただ」
「ただ?」
「時間が……」
土日祝日休み、九時~十八時、基本派遣さんには残業をお願いしない。
世間一般的には、優良案件なんじゃないんだろうか?
「バンド練習とか、大体夜で。ライブも平日とかにもあったりするし。そうなると、昼間にリハやったり……」
「そっか、時間が合わなかった」
「です」
猫みたいに鼻柱に皺を寄せ、顔を歪め残念がる野添くんの話に、私も納得する。
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