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◇
『CLOWNS』とレリーフが施された木製のドアを潜ると、リン、と控えめに鈴が震え、カウンターの奥からマスターが目だけでいらっしゃいと告げた。
「こちらへどうぞ」
寄ってきたウェイターにコートを預けると、マスターが目の前のカウンターを示した。週末だけあって、店内はほぼ満席に近くテーブル席は全て埋まっていた。とはいえ初めて来た三杉さんに楽しんでもらうためには、マスターの手捌きが堪能できるカウンター席は好都合だ。
「よく来るお店なの?」
「えぇ、たまに。いい店ですよね」
ぐるりと店内を見渡す三杉さんに、僕は得意げに言った。
「……と言っても、僕も松井課長に教えてもらったんですけどね。前に一度だけ、たまたま飲みに行く機会があって」
「そうなんだ。私、誘われた事ないから全然知らなかった。課長って、全然そんな風に見えないのに。意外」
「ですよねー」
会話が途切れ、訪れた沈黙に、静かで心地良いジャズが周囲の客の会話が聞こえるか聞こえないかぐらいの絶妙なボリュームでたゆたう。いつ来ても大声でどんちゃん騒ぎするような酔っ払いはおらず、品の良い客ばかり。
僕が初めて知った、いわゆる大人の店だった。
松井課長はひょろりと痩せぎすで背が高く、いつもワイシャツの上から袖カバーを嵌めてキーボードを叩いているような地味なタイプのおじさんだ。営業部の僕とは畑が違うから一緒に飲みに行く機会なんてなんてまずないのだけれど、たまたま業界団体内の会社見学会に二人で参加させられた後、この店に連れてきてくれた。その時は課長の普段のイメージとのギャップに心底驚いたものだった。
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