3人が本棚に入れています
本棚に追加
「いただきます」
三杉さんはマスターに向けて軽く掲げた後で、グラスを口に運んだ。ダウンライトに浮かび上がった白い喉が、妙になまめかしく感じる。
「……美味しい」
カクテルを口にした途端、三杉さんは少女のように目を丸くした。
「本当ですか? 良かった」
「私、こんなに美味しいお酒飲んだの初めて。びっくりだわ」
「マスター。ですって」
僕が声を掛けると、ナプキンでグラスを磨いていたマスターは、外国の喜劇役者のように無言で片眉をくいっと上げて見せた。それを見て、三杉さんが隣ではしゃぐ。マスターは決して必要以上の言葉を話さない。スタッフはあくまで裏方に徹するというのが、この店のモットーなのだ。
「なんだか見直しちゃった。森田君って色んな事を知ってるのね」
「いえいえ、全然そんな事ないですよ。三杉さんと一緒にバーだなんて、鼻で笑われたらどうしようって内心気が気じゃないんですから」
「私なんて毎日会社と家の往復だけで、何にも知らないもの。未だに実家暮らしだし。森田君は、確か一人暮らしでしょう?」
「そうです……って言っても、大学時代からのアパートにそのまま住んでるだけですけど」
暗に彼氏はいないと言われているようで、ニヤニヤが止まらなくなる。
「へぇー、大学から親元離れて一人暮らしかぁ。じゃあ、だいぶ羽伸ばしちゃったんじゃない? その調子だと、いっぱい女の子泣かせたりしたでしょう」
「そ、そんな事ないですよ。まぁ強いて言えば、一人か二人ぐらいはそんな事もあったかなぁ、なんて……ははは」
お酒で上気した三杉さんの目が、とろんとして色っぽい。
バーカウンターの背の高い椅子は、ちょっと身じろぎしただけで互いの身体が触れるぐらい、距離が近い。
手の届かない高嶺の花だと思っていた三杉さんが、急に目の前に降りて来てくれた天女に思えて、僕はどんどん幸せな気分に浸っていった。
最初のコメントを投稿しよう!