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「さぁ、始めるザマスよ」「行くでガンス」「フンガー」「ここ、どこ?」 3
死後の世界——軽々と受け入れるには衝撃が過ぎるというものだ。
私は死んだのか?では、今ある肉体は何なのだ?この悩んでいる精神は、いったい何なのだ?
茫然自失の私を横目に、ドラキュラ伯爵の言葉は続く。
「貴女の直面している困惑、私にも解ります。私も死後は同様の苦悩を経験しましたから。とは言え、それはもう400年も前の事ですから、だいぶ記憶もあやふやですがね」
ドラキュラ伯爵は、明らかに気落ちする私に再びワインを勧めると、自分もワインを煽りながら、昔日を懐かしむように目を細めた。
「私が死んだ——人間いつかは死ぬものだから、それについてとやかく探求する気はないし生前から覚悟も決めていたつもりだったけれど」
「けれど、どうなさいましたか?」
「やっぱり、動揺するわね」
困惑する私の表情を見ると、ドラキュラ伯爵は呵々大笑して、
「いやいや貴方は実に立派な、そして気丈なお嬢さんだ!」
死後の世界に迷い込んだ私に始めて、光沢さえ映る真っ黒な瞳を向けながら興味を示した。空になったグラスを雨水で洗い流し、テーブルクロスをテキパキと畳んでそのままテーブルに置くと、ドラキュラ伯爵は一言。
「カバンちゃん、行きますよ」
その言葉に反応して、テーブルはグラスやテーブルクロスを呑み込むよう真っ二つに折り畳まれ、その脚が縄のような柔軟性を宿したかと思うと、そのまま端々がくっついてしまった。
「テーブルが一瞬でカバンになるなんて。凄いわね、まるで魔法みたい」
驚く私に満足げな表情を見せると、ドラキュラ伯爵は蝙蝠の従者に馬車を用意するよう指示していた。
馬車を待っている間、私の苦悩と——そして自身の死にすら不真面目かもしれないのは重々承知だが、新しい世界に対する期待のせめぎ合いが、何とも言えない妙な心境にさせた。
「まぁ今は……色々な事が一度に起こり過ぎて困惑もするでしょうから、どうでしょう。この不思議な世界に慣れるまでは、私の居城へご招待されませんか?日数も経てば、郷に入っては郷に従えの精神で慣れもするでしょうから」
「ありがとう、そうさせて貰うわ」
ドラキュラ伯爵の良心に、今は甘える事としよう。未知だけが取り巻くこの世界で、唯一同じ言語を共有できる人物。
正体不明、正邪の区別もつかない段で、私の行動は軽率であろうか。
きっと平穏無事な世界に住む、私が生きていた場所なら、そうも言われるかもしれないが、残念ながらここは前後左右、上下も解らぬ完全な魔境。
猜疑の目で唯一この世界を知る者を訝ったところで、私にこれ以上の進展は望めない。ならば鬼が出るか仏が出るか、一つ捨て身になって渦中へと身を投ずるしかない。
そんな私の胸中を知ってか知らずか——そもそも、そんな私事の些細な関心事には興味が無いようで、全てを見透かすような漆黒の眼で私を正面から見据えると、
「なに、心配しなくともよろしい。私、これで中々、紳士で通っているものですから」
と茶化すようにして笑っていた。犬歯のように伸びた牙が、一種異様な観を呈するのだが、屈託ない笑顔に邪気のようなものは感じない。
いくら考えたところで人の中身など解らぬもの。まして、会って間もない怪人の胸中を推し量ろう等と、一介の病弱高校生だった私に出来る筈も無く。ならば疑って安全を図るより、信じて裏切られた方が良い。
腹は決まった。私は『死』も『黄泉の国』も『ドラキュラ伯爵』も、全てひっくるめて信じよう。決意したなら思い立ったが吉日、この非常識が私の常識に変換されるまで、徹して慣れ親しもう。
先程までと違う私の表情から何かを察したドラキュラ伯爵は、降りしきる雨に目を向けながら呟いた。
「そのうち慣れますよ、この摩訶不思議な慣習にも」
「そうね、慣れざるをえないわね」
「そうですとも。この世界は、貴方が望む限り永遠のみを与えてくれますから」
「永遠のみ……そんな時間が与えられるなんて、神様は私が思っているよりも親切なのかしら?」
「人によってはそう感ずるでしょうし、人によってはそうは好意的に受け止めない者もいるでしょう」
「そう」
ドラキュラ伯爵の言葉を吟味するよう反芻しながら、
「やっぱり親切よ、私にとってはね」
「ホホホー、それは何故です」
得体の知れない怪人に向き直り、
「それだけの時間があれば、私は『死』すらも超克出来そうじゃない」
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