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放課後になるとすぐに、二組に走った。廊下近くの女子に「仁科いる?」と尋ねてみる。
「もう帰ったよ。なんか用事があるって言ってた」
窓の外を見ると、ちょうど一番早く帰れるバスが発車したところだった。あれに乗っているのなら、今から追いかけても間に合わない。
スマホに目を走らせると、パッと既読マークがついた。もしかしたら、この瞬間に俺の謝罪に気付いてくれたのだろうか。言いたいことが伝わって肩の荷が降りた気がする。
――お守りを探したほうがいいだろうか。仁科に貰ったものだし、見つけられたら仲直りになるかもしれない。
帰りのバスでそんなことを考えたが、揺られているといつもの調子で気分が悪くなってきた。外を見るとチラチラと雪が降ってきている。
バスから降りたらかなり冷え込んでいた。こんな寒空の中で小さなお守りを探すのは至難の業だ。
仁科も、事故があったような危険な場所には近づくなって言ってたし、調子も悪い。今日はもう帰ろう。そう考えてまっすぐ自宅へと足を向けた。
帰宅しても劇的に良くはならなかったが、昨日ほどのマイナス思考には陥らなかった。「ごめん」を読んでくれたんだと思えたからだ。
明日会ったら、今度こそちゃんと謝ろう。柔道のペア解消の件も、自分が嫌になったからだと正直に打ち明けよう。
翌日、朝のバスに仁科の姿はなかった。二組の教室に行って尋ねると、昨日の女子が出てきた。
「仁科君は休みだよ。風邪だって言ってた」
「え……」
昨日、まっすぐ家に帰ったはずなのに。なにか神社の仕事でも手伝って風邪を引いてしまったんだろうか。それとも、まさかとは思うけれど俺に合いたくないから登校しなかったのだろうか。
――気になる。昨日の俺の態度からしたら、会いたくないと思われても仕方ないけれど。でも、今は謝りたい。
家に押しかけたら迷惑だろうか。もし顔を見せられないくらい悪かったらいけないし……。あらゆる可能性を考えだすとキリがなかった。
休み時間のあいだにメッセージを送ったが、なにも返ってこない。なんで無視するんだろうと思ったが、既読すら付いていないから調子が悪くて倒れ込んでいるのかもしれない。
こんなことになるなら、バス酔いしてでも仁科の家に行けばよかった。言いたいことが山ほどあって、パンクしそうなくらいだ。
ぐるぐる考えても時間ばかりが過ぎていく。LIMEも未読のままだ。授業はろくすっぽ頭に入って来なかった。
放課後、二組の前を通ると教室の奥から話し声が聞こえてきた。
「仁科のプリント持って行かないとな。PDFにして送るか?」
「それがいいよ。バス通学だから家まで時間も掛かるし。俺ら部活もあるし、そんな時間ないっつーの」
「明日は来るんだったら、机の中に置いてりゃいいんじゃねぇの?」
先生にプリントを持って行ってくれとでも頼まれたんだろうか。クラスメイト達三人が口々に面倒がっている。その中には以前校門付近で仁科にじゃれついていた山崎がいた。
二組の教室を覗き込み、手を振ってみる。
「あの俺、一組の児島だけど。仁科と近所だから渡すものがあれば持って行くよ」
「マジか! 助かるー」
ワッ、と話していた三人が寄ってくる。あまりの歓迎振りに面食らう。
「児島君、ありがとう。はい、これプリントな。よろしく頼む!」
俺に紙を渡した山崎達は「それじゃ、俺達部活に行くからよろしく」と、意気揚々と廊下へと去って行った。
おととい夢で見たような意地悪を言ってくる奴はいなかった。当たり前といえばそうだけど、拍子抜けするほどだ。
仁科の家の前で大きく息を吸い込み、門に付いているインターホンを鳴らす。と、母親らしき女性の声が聞こえてきた。
「はい、仁科です。あらその制服、城山高校? もしかして弘のお友達かしら」
「は、はいっ。児島と言います。プリントを届けにきました」
「遠くなのにわざわざありがとう。弘は今熱が下がっているから、上がってちょうだい。念のためマスクは外さないでね」
物腰柔らかなおばさんが玄関を開けてくれた。髪はOLみたいに綺麗に巻いていて、スラリとした美人だ。仁科が「母ちゃんがうるさいから」と言ってたっけ。とてもそんな風には見えないけど、と思いながら仁科の部屋に案内される。
「弘、児島君よ」
部屋の中で、コンコンと咳き込む音が聞こえてきた。本物の風邪だ、というのと、俺と会うのが嫌で学校に来なかったわけじゃないんだ、というのが分かった。嫌がられてなかったのはよかったけど、風邪はよろしくない。
「じゃあ、おばさんは一階に行くわね」
扉が開くと、チェックのパジャマ姿の仁科が寝台から体を起こしていた。目もとが少し赤く腫れていて、疲れたようすを見ると、駆け寄らずにはいられなかった。
「仁科!」
「おう、今日も寒いみたいだな」
手を上げてまた咳き込むので、あまり長い時間いられないと分かった。きっと昼間のあいだ熱が出ていたんだろう。手短に要点をまとめて伝えよう。
「LIMEメッセージ見てくれたんだな。柔道の相手が見つかったって言ったけど嘘なんだ。昨日の朝、隣のクラスの奴とお前が仲よさそうにしてるのを見て、俺なんていらないんじゃないかって思っちゃって。お前の前から逃げ出したくて、でたらめ言った。ごめん……!」
顔の前で両手を合わせ頭を下げる。俺が出来る最大限の謝罪だ。時間にしてほんの数秒だっただろうけれど、何十分にも思えた。
「なんだ、嘘だったのか……。よかった」
一拍おいて仁科の声が聞こえてきたので、バッと顔を上げる。
眉を下げてホッとした表情の仁科と目が合った。やっぱり昨日傷付いた顔をしてたのは見間違いじゃなかった。もう一度「ごめん」と言おうと口を開こうとしたとき、仁科が何かをにぎって差し出してきた。
俺の目の前に現れたのは、なくしたはずの紫色のお守りだった。
「これ、見つけた。自然公園の道路の端っこで」
「なんで……? もしかして探してくれたのか」
お守りから草と花を足したような涼やかな香りがする。そっと両手で受け取ると、体が軽くなった気がした。
「ありがとう、見つけてくれて。効いてる。楽になった……」
肩の力を抜くと、自信ありげに眉を上げられた。
「ついでにバージョンアップさせておいたからな」
「バージョンアップ?」
「ラベンダーオイルを綿に染みこませてお守りに入れたんだ。小さい頃にアロマお守りを作るところを見たから見よう見まねで。ラベンダーは魔除けの効能があるし、邪気を祓ってくれるって読んだことがある」
「へえ。良い匂いだと思っていたけど、魔除けの効力があるなんて知らなかった」
感心していると、「西洋では儀式に使われたりしてたらしいな」と補足してくれた。
「お守りは神社に行って調達してもよかったけど、俺から貰ったものをなくしたって言っていた時の顔が青白くて気になって。それに、渡した翌日に鞄に付けてくれてただろ。地味に嬉しかったから、半分自分のために探そうと思ったんだ、学校終わってすぐに。そしたら、雪が降ってきたもんだから思いのほか寒くなってきてさ。自然公園があるところって高台だから風も強くて、探し終わる頃には鼻水が出ちゃってた。……格好悪い話だけど」
ズズッと鼻を啜る音が聞こえた。それが自分のせいのように思えて仕方ない。
仁科の優しい性格をよく考えれば分かる行動なのに、俺は自分を基準にして想像もしなかった。こんなので親友、いやそれ以上になりたいなんておこがましい。
「俺のせいだ、ごめん」
「お前は関係ない。相談もせずに俺が勝手にやったからな。……さっきLIME見たけど、たくさん送ってくれたんだな。昨日、帰ってから通知音が頭に響いたから切ってたんだ。悪い」
「いいって。仁科がノートに書いてくれたお礼、見た。それで目が覚めて……。おととい公園で変なものを憑けてきたせいか、悪いほうへばかり考えが行ってたんだ。ごめん」
お互い頭を下げ合ったあと、顔を見合わせた。しばらくして、どちらともなくプッと噴き出した。
「なんか、親戚同士の挨拶みたいだ」
「もしくはおばさん同士か。こちらこそ宅の息子がお世話になりまして……とかな」
はは、と笑って肩を叩かれ、いつもの仕草にジンと感動した。今まで通りに接してくれるのが嬉しくてしょうがない。
「謝るのはもうナシな。児島の調子が悪いっていうのは、こないだ見て分かってたし。今は風邪引いてるから、悪いものの気配もなにも読めないんだけど」
「そういえば、自然公園にはひとに取り憑くような意識体っていたのか? 今年の初めに自殺者が出たって聞いてるけど」
「警察が検死や解剖した後に弔ってるから、人のものはなかったよ。公園近くにいた狸や野良猫っぽいやつの意識体なら何個かいた。車に轢かれたり、餌がなくて餓死したり、駆除目的の毒餌を食べてしまった奴だな。たぶん、児島が取り憑かれたのはそういう奴だろう」
そうか、自殺した人もちゃんと弔ってもらえば悪いものにならないんだ。そこまで考えたことがなかった。自殺イコール恨み残してます、と単純に考えていた。
「そっか。そういえば、怖がったりしちゃ駄目だって聞いてたのに、暗くなってきたから怖くて無我夢中でお守り持って走ったな。その時かな」
「あー……、たぶんな。まだ気持ち悪かったら、明日でも神社に行ってくれ。俺は行けるか分からないけど、参拝したら万全だろう」
想像したのか、眉を寄せたあとに咳き込んだ。
「明日も学校は無理だな。参拝ついでにお前の風邪を治してくださいって頼んでおく」
「よろしく。……だけどお守り修繕したり、霊を見分けたりってまるで拝み屋だな、俺」
「二人いるし、オカルト同好会作ってもいいくらいだな」
「言える」
顔を見合わせて笑い合う。こんな関係に戻れてよかった、また柔道で組み手が出来るだろう。
――でも、元の関係に戻ったら、仁科が仲の良いクラスメイトとじゃれ合うたびにまたヤキモキするんじゃないだろうか。
ここ数日で嫉妬心やマイナス思考が増幅されたけど、そうじゃない日だって隣のクラスを羨んでいたし、仁科の一番になりたかった。友達以上の関係を求める俺は欲張りなのだ。
「早く風邪治るといいな。ノートまた貸すから、ゆっくり写してくれてもいいぜ」
「頼むわ、児島。ちょっと寝る」
言うが早いか、あっというまにスウ……と寝息を立てはじめた。頬がやけに赤いから、また熱が出てきているのかもしれない。
「お守り探すときに無理したんだな。……ごめんな」
今日のところはもう帰ろう。病人を起こしてまで告白しても良い結果が得られるとは思えないし、風邪の元凶は俺だ。
胸に燻る気持ちは、今すぐに伝えないほうがいいだろう。当面のあいだ、クラスメイトに嫉妬するくらいの、独占欲旺盛な同級生として過ごせたら幸せだ。
部屋を出るとき、もう一度お守りを握った。清涼感にあふれた良い香りだ。思えば仁科とは香りが導いてくれたようなものだな、と思う。
「仁科、お前が好きだって卒業までには言う。だから待っててくれ」
話すともなく呟いて、詰め襟を着る。長居はできないから、おばさんに挨拶してから家を出た。
一時間後、こんなやり取りが仁科家で交わされていたとは露とも知らずに。
* * * * * *
仁科弘は目覚めるとよろよろと階段を降りた。
「喉渇いた。母ちゃん、水ちょうだい」
「弘、起きたの? 児島君もう帰られたわよ」
「知ってる。うとうとしてたら出て行ったから。あんな大事なことを卒業までに言うってあいつ、気が長すぎるだろ……」
袖で汗を拭う顔は朱色に染まっている。
「あら、顔が真っ赤よ。熱がぶり返してきたのしら。解熱剤飲む?」
「そうだな、風邪だけど別の病も混ざってるから」
完璧に治ったら児島の口からハッキリ言わせてやる、と仁科はボキボキと指を鳴らすのだった。
【終】
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