5.仁科はこんなこと言わない

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 そんなことをぐるぐる考え、ギュッと目を閉じて緊張していると、「取れたぞ」と言われた。 「え……?」 「落ち葉が付いてた」  ほら、と手渡された葉は、綺麗に弧を描いていた。まるで狸が変身するときに使いそうな葉っぱだと思ったとき、仁科の真面目な顔が崩れた。閉じていた唇がぶるぶると小刻みに揺れたかと思うと、大きく口を開けて笑い出したのだ。 「お前、どこで付けてきたのか知らないけど、気付いたら頭のてっぺんにこんなの乗せてて……狸かよ!」 「俺も、この葉っぱみて思ったよ。えらく綺麗な形で、狸の変身するときみたいだなって」 「お前も!? そうそう、昔話で化かされるやつだよな!」  そう言って俺の顔を見ると、また噴き出した。今度はなかなか止まらない。どうやら笑いのツボに入ったらしい。それを見ながら、自分の頭が冷静になってゆくのが分かった。  ――なんでキスされるとか思ったんだろう。自意識過剰だ。  仁科は俺のことなんて意識してない。もし俺を好きなら肩を組んで内緒話したり、今みたいに髪をさわるのにもドキドキして、勇気がいるだろうから。  俺は仁科のことが好きなのかもしれない。ふれられると嬉しいし、柔道の授業だって裸を見て動転した。今日だって、家に呼ばれて浮かれていた。アロマのコレクションを見せてもらって、仁科と親しくなった気がした。  だけど、勝手に俺が盛り上がっていただけで、仁科にとっては普通の友達だったんだ。その証拠に、今も腹を抱えて笑い転げている。 「あー腹が痛い。気に入った瓶、一個持って帰ってくれていいよ。道具がなにもなかったら、ティッシュペーパーに付けておいたらいい」 「ありがとう」 「児島も香りにハマッたら、俺だけが珍しくなくなるだろ。アロマ仲間を増やすためだ」 「そういう策略か!」  笑いながら突っ込んでコーヒーを啜り、菓子を摘まむ。それから動画や映画の話をしてSNSのアカウントを教え合った。  そうだ、友達ならこれ位の距離感がいいだろう。俺が仁科を好きなのは黙っておいたほうがいい。こいつは男友達として俺に接してくれている。きっと恋愛対象は女の子だ。  友達だと思っている奴から突然好きだって言われたら、俺だってびっくりして引くだろう。仁科のことが好きだけど、キモいと思われると困る。今のまま、友達として過ごせたらそれでいい。  帰り道、スマホの振動がしたので覗くと母からだった。 『リビングの時計の電池をよろしく。お金渡すの忘れててごめんね』 「そうだ、昨日頼まれてたっけ。すっかり忘れてた……」  現金はないが、コンビニだったらwebマネーでなんとかなるだろう。仁科の家から俺の家に戻る手前に、あまり利用しないコンビニがある。だけど、そのコンビニに行くには自然公園のそばを突っ切る必要があった。午後四時半、秋が深まりもう日が暮れかけている。自然公園はだだっ広くて、痴漢が出たり自殺者が出たりしたことがあると聞く。真っ昼間ならともかく、日暮れ近い時刻に通りたいとは思えない場所だ。  それに、仁科に事故があった場所には近づかない方がいいと言われたばかりだ。自殺した場所は事故現場よりよくない気がする。 「家の向こう側にあるスーパーに行こうか。……いや、それだともっと歩くよな。ここを突っ切ったらコンビニで、その後は人通りが多いから、小走りでいけばいいか……」  大型トラックが二台余裕で行き来できそうな幅の道を早足で歩く。日が暮れると鬱蒼とするだろうが、それまでにコンビニに着けばいい。十分あれば抜けられるだろう。 「暗くなってきたな」  歩道の両脇には、広葉樹と低木が茂り放題だ。まだ街灯がつかないから、樹の影が暗くて陰気な感じがする。自殺者が出たニュースは、今年になってから聞いた。胸のあたりがざわっとする。 「走るか」  鞄に付いているお守りを握り、大きく足を踏み出す。出来るだけ早くこの場所を抜けるんだ。  走ると息は苦しいけれど、風景がどんどん後ろに流れてゆく。全力疾走なんて体力測定以来やってないから、あっというまに息が切れてしまった。 「はぁ、はっ……」  走れるところまで走り、膝に手をついて休む。心臓が壊れるかと思うほどだ。  休みながら走り、コンビニの明かりが見えたときは心底ホッとした。長いトンネルを抜け出たような、お化け屋敷から出たような気持ちで胸をなで下ろした。 「祐、おかえり。電池買ってきてくれてありがとう。お金払うわね。いくらだった?」  帰宅して母に電池を渡す。 「ついでに付け替えをお願い。祐なら時計に手が届くでしょ?」  お母さん背が低いから、と主張され、ハイハイと作業する。明るい室内にいると、自然公園の薄気味悪さが嘘みたいだ。 「暗くなるのが早くなったから、自然公園を通るときビビったよ」 「あの辺夜になると怖い感じだものねぇ。そういえば祐、顔色悪いわよ。風邪かしら」  俺の額に手をあてた母が、心配そうな顔になる。 「ちょっと寒気がする。急に頭痛がしてきて。なんだろ……」 「ゆうべも動画見てたでしょう。睡眠不足なのかもね。念のため、薬を持って来るから飲んで。あら、頭痛薬しかないわ」  薬箱から出した婦人用の頭痛薬を渡された。錠剤を水で流し込みながら、これで効けばことは簡単なんだけど、と思った。 『事故現場で被害者に同情したり、可哀想だなと思うのも良くない』  仁科の忠告を思い出す。自殺者に同情はしていないし、どこで死んだのか分からないけれど、公園からいち早く抜け出る努力をした。お守りだって握ったから問題ないはずだ。  寝台で横になる。仁科にもらったアロマオイルを鞄から取り出した。ローズマリーオイルのキャップをひねり、ティッシュペーパーに数滴垂らすと、スッとした中に甘さがある香りが広がった。 「少し楽になった気がする……」  目を閉じると、頭に付いた葉を取ってもらったときのことを思い出していた。  葉を取られる際、妙に意識していた俺。「狸かよ」と腹を抱えていた仁科。恋愛感情と友情は違う。俺の気持ちは多分、いやきっと通じないだろう。  ――気持ちを打ち明けて傷付くぐらいなら、自分の気持ちくらい隠し通す。高校を卒業するまでの三年間、いい友達を演じきる。 「それくらい、いいよな」  部屋に広がったハーブの香りが心地良い。高級な旅館に泊まったみたいな気がする。それからうとうとしたかと思うと、いつの間にか眠ってしまった。  その晩みた夢は最悪だった。  仁科のクラスにノートを貸しに行くと、窓際のカーテンが揺れていた。なんだろうと近寄って捲ると、仁科と同級生が肩を組んで笑い合っていた。  ――なんだ、仲がいいなと思ったけれど顔には出ないように努める。普通の友達は嫉妬なんてしないもんな。 「遊ぶのもいいけど、こんなところにいたら分からないよ、仁科。ノート貸せないじゃないか」 「あ、ノート君だ。でしょ、仁科?」  クラスメイトが俺を指して言う。なぜか靄が掛かったように顔だけ見えなかった。 「そうそう。ちょっと知り合ったんだけど、ノートが分かりやすくてさ。お陰で日本史の成績上がったぜ、今度お前に貸してやるよ」  その言葉にサッと血の気が引いた。  俺の目の前で、俺のノートを貸す相談をしている。あまりにも失礼じゃないか。 「ふざけるな。お前になんか二度と貸さない! このクラスにも二度と来ない!」  怒鳴った自分の声で目が覚めた。眠りながら叫ぶなんて初めてだ。気付くと布団をはだけていて、寒いくらいだった。 「くそ、最低な夢だ……」  同級生と笑いながら俺のノートを貸すと言っていた仁科の軽薄な顔が頭の中で再現される。こんな夢を見るのは、俺が心の底で仁科を信用してないって証拠じゃないか。  実際の仁科はあんなこと言わない。だけど、同じクラスの奴を俺自身が羨ましがっていると指摘された気がした。  仁科に会ったら、こんなのはただの夢だとハッキリする。オイルのお礼を言って、また葉っぱでもくっつけていれば取ってくれるだろう。あいつは友達を利用するようなことはしない。それだけは確かだ。  学校に向かう道でどんよりとした厚い雲を見て、雪雲だと思った。  今年は寒くなるのが遅いけど、一気に冷え込むとテレビで言ってたっけ。まるで昨日の夢みたいだ。仲良くなったつもりだったけれど、それは俺だけで仁科はクラスメイトの方が大事で――。  そこまで考えて、頭を振った。  だめだ、ゆうべからマイナス思考が続いている。仁科にしてもらったことを思い出せ。  初めて会ったとき、具合が悪い俺に肩を貸してくれた。それだけじゃなくて、本職の神主さんにお祓いしてくれるよう頼んでくれた。お守りもくれたし、苦労して集めたオイルを分けてくれた。  俺が勝手に恋愛感情を持って、告白して断られるのが怖くなって友達でいようとビビったから、あんな夢を見たんだ。  ――いや、もしかしたら自然公園でなにかをくっつけてきたのかもしれない。お守りを握っていたのにこんなことになるなんて。 「お守り、鞄に付いてるよな……」  確認しようとショルダー紐の金具を見ると、紐だけがぶら下がっていた。 「もしかして、力を入れて握ったから引きちぎっちゃったのか」  なにもついていない紐を見て脱力する。全力疾走したとき夢中だったから、手の中から落としたんだろう。 「くっそ……」  自分の間抜け加減に呆れてしまう。身を守るためのお守りを落としたから、夢見も悪かったに違いない。 『ノート君だ。でしょ? 仁科』  夢で仁科の隣にいた奴の勝ち誇った声が今も頭に残っている。あれは夢だと言い聞かせるが、仁科は隣のクラスだから、向こうの友達も多いだろう。そいつらに比べたら、俺なんてただの知り合いに過ぎないのかも知れない。  本物の仁科に会いたい。そうしたらきっと、馬鹿げたことを考えてたって笑えるだろう。
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