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翌朝バスに乗ったが、仁科は前の方にいたので、話せなかった。だけど、いつも通りの顔を見て元気づけられた。
バスが校舎前に停車する。
――追いかけて、おはようって言おう。それとお守りをなくしたことを言ったほうがいいだろう。せっかく俺にってくれたんだから、謝らないと。
そんなことを考えながら近づいていくと、だれかが仁科の首に抱きついた。ふざけ合う声が聞こえてくる。
「宿題やってきたか? 俺、今日の日付と出席番号同じなんだ。きっと英文法で当てられる!」
「苦しいだろ、山崎! お前が当てられそうになったら横から答え言ってやるから離せ。そういえば、昨日の英文はおかしかったな」
「ほんと。英文法なのに英会話の教科書で二十分進んでたもんな。得した」
「そのせいで宿題出たんだけどなー」
あはは、と笑い合う光景を見たとき、クラスでもこうやってふざけてるんだろうな、と思った。
英文法の先生は二つの授業を受け持っているせいか、たまにミスをする。多分そのことを言ってるんだろう。
俺の知らない教室の出来事、知らない友達。そんな現実をまざまざと見せつけられた気がした。仁科はクラスに友達が大勢いるんだ。
たまたま俺から話しかけただけで仲良くなれたけど、だれにでも助けを出すし、きっと周りもそんな仁科を好きだろう。
自分だけ家に呼ばれたとか、お守りを貰ったとか、神社に行ったとかそんなことで勝ったような気になったのは馬鹿だった。同じ状況になったら、だれにでもそうするに違いない。
俺は特別でもなんでもないんだ。
「勘違い……してたのかな」
顔が歪む。悔しいような、試合に負けたような寂しさだ。
仁科達が話している二歩あとを歩くけれど、彼らは前を向いて歩くから気付かない。……こんな格好悪い俺は気付かれない方がいい。
校舎に入るときには、もう家に帰りたくなっていた。
会いたいと思っているときは会えなくて、会いたくないと思うときほど鉢合わせる。これってなにかの法則だろうか。
仁科を避けていた昼休み、購買でパンを買って帰って来るとその本人が教室の前にいた。
「児島、どこに行ったんだ。探してたんだぜ。LIMEメッセージ送っても既読も付かないし」
「ごめん、購買が混んでてスマホ見る暇なかった」
本当はポケットに入れたスマホが振動していたのに気付いていた。だけど、仁科からだとしたら連絡を取らないと変に思われるから取らなかった。そんな俺の醜い思考に気付かないのか、仁科が明るい笑顔を向けてくる。
「この前借りてた日本史のノート、返す。ありがとな」
「うん……」
俺のことを微塵も疑ってないんだ。罪悪感のせいでノロノロとノートを受け取った。
昨夜の夢がまた頭に浮かんでくる。俺の知らない同級生に貸すと約束していた光景が浮かんで、あれは夢だと言い聞かせる。
――でも、夢じゃなかったら? 今朝だって、山崎って奴と二人して英文法の授業の話をしていた。違うクラスで過ごす時間だけ、俺の知らないことがあるに違いない。
「明日柔道あるだろ、また組もうぜ。……児島、どうした? しんどそうだけど」
ハッとした。仁科には調子悪いのが分かるんだ。いつまでもひがんでいても仕方ない。仁科に言うことがあったんだ。
「ごめん、前もらったお守りなくしちゃったんだ」
「え? どこで?」
綺麗に揃えられた眉が動く。驚いててもイケメンだな、と思った。
「昨日の夕方、自然公園からコンビニにいく道で。でも、もういいんだ」
「もういいってなんだよ、良くないだろ。それでこんなに顔色が悪いのか……」
心配そうな顔をしないでほしい。仁科に構われたくない、俺なんて仁科の傍にいないほうがいい。俺は隣のクラスだし、仁科のクラスメイトよりも親しくない。勝手に親しくなったと思い上がっていただけだ。
「いいんだ! 柔道も、俺と同じレベルの奴を見つけたんだ、これからそいつと組む。だれか同じクラスの奴にペアになってもらってくれ」
「児島……」
咄嗟の嘘を口にして、なにか言いたそうな仁科の顔を見たとき、傷付けたと思った。だけど言った言葉は取り戻せない。
なるべく仁科の顔を見ないようにしてその場から走り去った。「児島、待てよ」と後ろから聞こえたが、聞こえないふりをした。今日の俺は最低だ。
走って校舎から飛び出す。まるで犯罪者の気分だ。行くあてなんてないから、カップルばかりが並ぶ裏庭のベンチに落ち着いた。居心地は最悪だ。
「シンくん、あーん」
「ありがとう、アリサちゃん」
そんな甘ったるい会話が飛び交う中、一人黙々とパンを食べた。
焼きそばパンは濃い味付けだから、つらいとき味がしないとかいうのは嘘だな、と思った。だけど旨いとも思えなかった。
食べ終わる頃、どうしてあんなことを言ったんだろうと冷静になってきた。お守りをなくしたのは事実だけど、柔道のペア解消まで切り出す必要はなかったんじゃないだろうか。
だけど、あれ以上俺に構ってほしくなかった。いっその事あいつの視界から消えてしまいたかった。それで自分から縁を切るようなことを言うなんて、負け犬根性なのだろうか。分からないが、卑屈な自分に嫌気が差してくる。
仁科から話しかけてくることはもうないだろう。きっと嫌われたに違いない。隣のクラスだし、手間が掛かる面倒くさい俺なんてスルーするほうが楽だ。
「もし……」
もし仁科からペアをやめようと言われたら、俺ならどうするだろう。きっと「なんでだよ」「俺のことがウザくなったのかな」って思うだろう。
――今と変わらないか、と自嘲しかけたけど、笑って済ませられる話じゃないと気付いた。
「駄目だ、仁科に謝らないと。仁科……」
すぐにポケットからスマホを出した。なんて言えばいいのか、散々迷った挙げ句「ごめん」とだけ打った。送信の紙飛行機マークを押す指が震えている。
メッセージに気付いてくれと思いながら待ったが、一向に既読が付かない。無視だろうか。さっき自分がやったのに、同じ事をされると胃の奥ががずしんと重くなった。
午後の授業が始まる予鈴が鳴り響く。ベンチに置いたノートが風でカサカサと捲れた。
「やばい、押さえておかないと」
開いたノートを手で押さえると、見たことのない筆跡が見えた。
『いつも貸してくれてありがとな。助かる!』
「あ……」
仁科の文字を初めて見た。丸みがある女の子みたいな可愛い字。こんな字を書くんだ、と思ったのと同時に申し訳なさで一杯になった。
「お礼なんて言わなくていいのに。……今さっき、嘘をついたのに」
これを書いた仁科を思い描いた。きっとノートを写しながら、ニコニコしながらお礼を書いてくれたんだろう。
鼻の奥がツンとする。泣いてしまいそうだ。
律儀にお礼を書いてくれた仁科の代わりにノートを抱きしめたくなったけど、そんな姿を窓からだれかに見られたらいけないから、筆跡を見つめた。この文字は俺の宝だ。
仁科はいつだって、俺に優しくしてくれた。お守りをなくしたことを責めたりせずに俺の体調を心配してくれた。なのに、俺は仁科の前から消えたくなって口から出任せを言った。
ほかの奴と組むなんて、言ったら本当になることに気付かなかった。その証拠に仁科は傷付いた顔をしていた。
仁科、ごめん。……ごめん。予鈴が鳴り終わるまで、心の中で何度も繰り返し謝った。
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