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 前から来たプリントを後ろに回した時、彼女と目が合った。肩までの少し茶色い髪の毛は教室の蛍光灯の明かりを反射してキラリと光る。  一週間ぶりに見た彼女はいつも通り「ありがとう」と微笑んでプリントを受け取った。でも、その目の色はいつも通りの明るいオレンジではなかった。深い深い海の中のような、暗くてなにも見えなくて、ただ目を開けているだけのような、深い悲しみの色。  どうしたの、と声をかけることすら憚られた。僕と彼女――平松さんとはそんなに仲が良いわけではない。ただの、いちクラスメイトにすぎない。そんな僕が目の感情の色を読めたからと言って気安く話しかけてはいけない。前を向いて気づかなかったフリをした。  人間の白目の部分に色が見え始めたのは小学四年生の頃だっただろうか。まず母親の目の色が淡いピンク色になっていることに気がついた。ほどなくして赤ちゃんを妊娠したことを告げられた。しばらくは幸せそうなパステルカラーの色をしていた母の目だったが、流産したことを告げられた時には紫色を帯びた深い青色――群青色に染まっていて、そこで自分は感情が色で見えるのだと幼いながらに悟った。  この特殊能力について誰にも言ったことはない。自分の母親にでさえ秘密にしている。子どもながらに分かっていたのだ。気味悪がられることを。  感情の色が見えたところで得をすることなどひとつもない。分かるのは嘘をついているかどうかぐらいで、日常生活において特に必要のない特殊能力だ。  そんな不必要な特殊能力で平松さんの感情を読んでしまって……気になった。いつも元気ハツラツとした平松さんが沈むほど深い悲しみを抱えているのに、その感情を表に出さず内側に秘めている理由とは一体なんなのか。一週間学校を休んでいたことと関係があるのだろうか。  平松さんはクラスでも人気者だ。授業と授業の間の休み時間になると、数人の女子たちに囲まれる。 「紗菜(さな)、なんか久しぶりじゃん? どうしたの?」 「紗菜いなくてつまんなかったよぅ」 「大丈夫なの?」 「あはは、ごめんごめん。ちょっと風邪引いちゃってさ。もう治ったから大丈夫。心配かけてごめんね」  声はいつも通り明るい気がする。うーん、僕の見間違いだったかな。  でも数学の授業で平松さんが当てられて前に出た時、教卓から戻ってくる彼女を見たら、やっぱり目が深い悲しみの色に染まっていた。それなのに微笑みを絶やさない。目が合った友人とアイコンタクトを取って笑っている。必死に感情を隠そうとしているのが僕には見え見えで、どうしてかキュッと胸が痛くなった。
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