5.

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 グラウンドから「ドンマイドンマーイ」という声が聞こえた。平松さんと僕は時が止まったように見つめ合ったまま、微動だにしない。  言葉の意味が理解できないのか、先に平松さんが口を開いた。 「私、は……死んでなんかないよ」 「悲しみに染まってる君なんて、僕からしたら実質死んだようなもんだよ」  心の底からそう思っているのに、口に出してみるとひどく陳腐に聞こえた。言葉に質量があるのなら、僕の言葉はタンポポの綿毛くらいに軽くてふわふわと漂っている。 「私が、死んでる……?」  平松さんは明らかに動揺していた。畳みかけるなら今だ。 「そうやっていつまでも悲しみに暮れるといいよ。彼はきっとそんな事望んでないだろうけど」  ここで僕が教室を出たら、きっとすごくカッコいいんだろうけど、好きな人の心を動かす瞬間が見てみたくてその場を動かない。平松さんはハッとした顔をして「そう言えばあの時……」と呟いた。なにか大切なことを思い出したのだろう。そして彼女は瞳を揺らし、新しい涙をじわりと浮かべた。 「……祥吾(しょうご)、私に言ってたの。『もし俺が先に死んでも、長く悲しむ必要はない』って。『三日、長くて一週間まで悲しんでくれたら、あとは前を向いて歩いて欲しい。逆の時もそうするから』って……」 「うん」 「約束、したの。指切りげんまんまでして……最後の、約束」 「うん」  平松さんはおもむろに天井を見上げた。涙が零れないようにしているのだろう。彼女は多分、もう大丈夫だ。根拠はないけど、次に目を見た時には確信に変わった。 「ありがとう、山本君」  深い深い海の底のように暗かった目の色が、透き通った海の色をしていた。急に元に戻るなんてことは無理なのは分かっている。少しでも深いところから浅いところへ上がってこられたのなら、及第点だ。  前からきたプリントを後ろの平松さんに回す時が、僕の一番の楽しみだった。平松さんは暖かい色をした目を必ず僕と合わせて、「ありがとう」と微笑んでくれる。それがなにより嬉しかった。そして気がついたら彼女のことを目で追っていたのだ。恋に落ちる瞬間なんて、きっとそんな些細なことがきっかけになる。  カキーン、と小気味いい音がグラウンドから響いた。 「平松さん。こんな時になんだけど、僕、君に告白したんだよね」  僕の存在を、これからは少しずつ大きくしてもらって、どうせ染まるなら僕の色に染まってもらおう。彼女と僕の物語はここから始まるのだ。  頬を赤らめた彼女の目に、僕が映った。 END.
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