君の存在は、酷くて甘くて遠い⑤

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君の存在は、酷くて甘くて遠い⑤

 バイトへ行くと、全体的に丸っこい体型の西谷店長ことマシュマロ店長(男性)は、突き出た腹のぜい肉を摩りながら「今日、新しいバイトの子が来るから」と言った。  その後に、慌てて入って来た人物の顔を見て驚いた。 「すみません。遅くなりました」 せ…瀬織……  マシュマロ店長が、俺に何か色々言っていたが、目の前の瀬織を凝視したまま一時停止していた。 「瀬織です。よろしくお願いします」  瀬織が、俺に向けた笑顔の衝撃で一時停止モードが解けた。俺は、瀬織を凝視したままの目線を慌てて逸らし、その後何を言ったか覚えてない。  マジで!!  俺は、取り敢えず、仕事に集中しようと努めた。が、瀬織に礼を言われる度胸の辺りがギュッとなる。  なんか変なものでも食ったか?    初日は、忙しくて仕事に集中出来たが……今日は、今日で…… 「……おはようございます」  瀬織は、ぎこちない笑顔と顔色もあまり良くない。俺と目を合わせてくれないし仕事中、話しかけるとビクつくし…… なんかしたか俺……  さっきは、瀬織がファストフード用の紙袋に入れてくれたコロッケを受け取ろうとして、瀬織の手に触れてしまい取り損ねてしまった。それは、見事に床に落ちてしまって…… 「……ごめん」 「すっすみません…僕の渡し方が悪かったんで」瀬織は、引き攣った笑顔でそう言った。  ……ん? なんか怖がられてる?  俺は、人に気を使ったことなんてないし、こんなに緊張したこともない。雄大達と普段どんな話ししてたかなんて考えたこともない。つーか、手が触れただけで慌てるなって…… 「上手くいかねぇ……」俺は、つい口走っていた。 「え……?」瀬織が俺を怯えた目で見る。    違う! 違う!! 違う!! 「……いや、俺品出ししてくる」俺は、逃げるようにレジから離れた。  余計怖がらせてどうする!!  ※  結局、瀬織に誤解されたまま勤務時間が終了した。  ……なんか疲れた  先に瀬織が、事務所に入っていてもう帰る支度が出来ているようだった。 「……お疲れ様…でした」 「お疲れ……」 瀬織が、俺の横を通り過ぎる時に微かに甘い匂いがした。いつも食べてるグミの匂いだ。俺は、今日はグレー味かと思いながら事務所の扉へ歩いていく瀬織を目で追った。 「……瀬織?」  俺は、瀬織の様子がおかしくて声をかけた。振り向いた瀬織は青白い顔をしている。 「なんでもない…です……あ…れ……?」瀬織は、事務所の扉前で崩れるように倒れた。 「おい! 瀬織?!」  俺は、瀬織の身体を起こし顔を軽く叩いた。瀬織は、青白い顔のままぐったりして動かない。 「……っどうすんだよ」  店長も店にいないし、マジでどうしよう。救急車呼んだ方がいいのか? 「・・・・・」 「瀬織……?」 瀬織が何か言ってる……? 「な…に……?」   俺は、か細く聞こえてくる瀬織の口元へ耳を寄せた。すると、瀬織の腹から今まで聞いたことない腹の虫が盛大に鳴いた。 「……は…らへった」 はあ……? 腹減ってぶっ倒れたってこと?! 「んっだよ……心配させんな……」俺は、大きなため息を吐いて瀬織の頭を軽く叩いた。    ※    瀬織の自宅は、店長から聞いた住所だと隣の駅だ。俺は、顔色の悪い瀬織を背負って店前の道路でタクシーを止めた。   俺は、取り敢えず店長に連絡を入れ事情を話した。どうしても抜けられない用があるらしく、俺が瀬織を家まで送ることになったけど……  瀬織の自宅前まで着いて肝心の鍵がない。このクソデカくて重いリュックを探るしかないのか……俺は、ダメ元で部屋のドアノブを回して引いてみた。 「……開いてる」  幾ら、都心から離れたところだとしても施錠をしないのはマズくないか? 俺は、中の様子を見回し玄関の照明をつけ瀬織を一旦そこへ下ろした。  俺は、奥の部屋のドア開け照明のスイッチを押した。部屋の側面に貼られたグレーの吸音パット、大きい机にはデスクトップ、鍵盤、スピーカー、弦楽器が何本か置かれていた。壁側の本棚には、無数のCDが並べてあり入り切れず平積み状態。床にはA4サイズの用紙やグミの袋? が散乱しベッドには衣類が脱ぎっぱなしという地獄絵図のような光景を数秒眺めた。 「……なんだこれ」 俺は、仕方なくベッドの衣類を避けて瀬織を寝かせた。部屋の汚さに萎えながら弦楽器へ目がいった。一番使い込まれたエレキギターだったが、メンテナンスがされていて大事なものだと分かる。俺は、昔のことを思い出し自分の左手を見た。その左手を開いたり閉じたりを繰り返した後強く握った。 「……ったく仕方ねな」  俺は、ノロノロと立ち上がりこの汚部屋と化した部屋を片付けることにした。  ゴミと思われるものをゴミ袋に入れ、脱ぎ散らかした衣類は洗濯機に突っ込んだ。そんなこんなで、汚部屋と格闘すること一時間が経っていた。  そろそろ電車の時間がヤバい。かといって、瀬織をこのまま一人にするのも心配だし……三秒程考えて止めた俺は、勝手に風呂を借り、さすがに床で寝るのは、季節的に無理と判断し寝てる瀬織のベッドへ入った。何も考えず、無心無心とよく分からない精神統一をして目を閉じた。
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