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婚活を始めた理由と求めた相手像
33歳の春。闘病中の姉は私の花嫁姿を見たいと言うようになり、ゆるーく婚活を始めました。
まだ私自身、体が本調子ではないので、異性と話すリハビリみたいな感じでした。初めは友達数人でイベントみたいな軽いノリで女性は無料や安いパーティに参加。
私は躁鬱になって過食と動けない日々が続き15㎏も太りました。元々、ぽっちゃりでしたが、全然モテない。
婚活パーティーのフリータイムでは友達には行列が出来ているのに対し、私だけ誰も話しかけに来てくれなくて切なかったです。
それならと「ぽっちゃりさん婚活」に参加したら、150cm70kgの私は縦にも横にも小さすぎて需要なし。
どこにも私を求めてくれる人はいないのかと絶望。これでも双極性障害になるまでは声をかけられたり、結婚前提の恋人がいた時期もあったのにと自尊心ズタボロ。
母は若い時に結婚、年の離れた姉と兄にも恋人がいたので、大人になったら自然と恋愛して結婚するものだと勘違いしていました。
まさか現実はこんなに厳しいなんて…でも、結婚はしたかったのです。
理由は
「大好きな母がいなくなったら1人で生きていけないから」
ママっ子の私にとって母にもしもの事があったらショック死すると思います。冗談抜きの大真面目。だから、母がいなくなった時に死なない為にも、自分の家族を作り精神的な支えになる存在が欲しかったのです。
姉に花嫁姿を見せるのは間に合わないかもしれないけど、うまくいったら彼氏はできるかもしれない! と婚活を頑張る事に。
友達同士で婚活イベントに参加するとモテない私はどうしても比べて落ち込んでしまうので、不安はありましたが1人で参加するようにしました。
すると同じ婚活中の女性達とも仲良くなり、時々、女子会を開催。
婚活で知り合った男性あるある、理想の男性は「人畜無害な普通の人」だと話したりして盛り上がりました。
そして、その「普通の人」こそ婚活ではハイスペックで、中々出会えないという結論に達し、婚活女子同士で肩を落としたりも。
双極性障害の私が求めた相手とは?
その当時の私は双極性障害があるからと恋愛や結婚を躊躇う気はさらさらなかったです。
病気とか関係なく、ただ
「好きな人と幸せになりたかった」
精神疾患への偏見やパートナーになる人のデメリットは考えた事もなく、相手への配慮がたりませんでした。
神社巡りが趣味の私は色々な神社へ行き、結婚相手が見つかること、躁鬱の波が落ち着くことをお祈りしていました。
私が好きな神社は「出雲大社」。
かつて島根の本社に行った時に好きな人から告白された経験があり、私とは相性が良く良縁とご利益があると信じています。
東京の六本木に分杜があって、今も通っています。方向音痴な私でも行ける、ほぼ一本道。都会の中にあるコンクリート造りの神社です。
毎回、宣言する形でお参りしていました。
例えば、「(住所、名前、生年月日を心の中で唱えた後)、いつもお守り頂きありがとうございます。今年の誕生日までに出会いがあるように婚活を頑張ります!」というふうに。
期限を決めて、なるべく具体的にお祈りするといいらしいと知ってから、絵馬にも書くようになりました。
33歳の時に絵馬に書いたのは、
「(34歳の)誕生日までに良き出会いがあるように婚活を頑張ります」
求める相手は、誠実で浮気をしない、おもいやりがある、定職についている、私の家族と仲良くしてくれる人。
年収や容姿に条件はつけていませんでした。よく婚活は条件から入ると言われますが、自分は偉そうに選べる立場ではないと思っていたのと、お金より愛が大事だと信じていたからです。もし過去に戻れるなら自分に忠告します。
「お金も大事だよ~」(笑)
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