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夫との出会い
絵馬に書いた34歳の時、知人の紹介で夫と出逢いました。誕生日の一か月前くらい。絵馬に書いた時期と合います。
夫は背が高くモデル体型のイケメン。あまり話さず無口でニヒルな印象。
その飲み会でトラブルがあったのですが、夫は冷静に対応し、自分も被害者なのに女性陣に謝ってきて、誠実な人だと好印象。
知人から催促され、私から夫の連絡先を聞きました。
実は夫はその男性との付き合いで来ていただけで、出会い目的だと知らなかったし、元々独身貴族で結婚願望どころか彼女を作る気もなかったそうです。
勇気をだして私からデートに誘ったら、夫の提案で、お互い友達を誘って2対2で会うことに。場所は安い汚い焼肉屋。お世辞にも女性を誘うような所ではないので、これは脈ナシだなと悟りました。
その後、複数人で何度か会いましたが、夫とは進展せず。こんなまんまるじゃあ無理だよねと諦めていました。
夫抜きのグループで紹介し合ったりして、グループ交際のような感じで、BBQやテーマパークに行ったり忙しくなりました。
ただ体力はないので、遊びに行ったら数日はダウンして寝たり起きたり。
余命宣告をされていた姉は色々話したかったらしいと後に母から聞きました。
姉と私の体調が良い日がなかなか噛み合わなかったからというのは言い訳です。なぜ、もっと、姉と向き合ってあげなかったのだろう? 姉の命の限界が近づく音に耳を塞いで逃げていたのかな? 自分の事しか考えられていなかった愚かな私でした。
大好きな姉の死
正月が明けてしばらくして、姉が亡くなりました。享年46歳の若さ、闘病2年。あっという間の悲劇。
亡くなる二日前、外泊をした姉を連れて車椅子で外出をしました。姉の好きなお肉を食べましたが、肝臓に転移していたので内臓がほとんど動いていなかったらしく、ほんの2キレしか食べられませんでした。ですが、姉は美味しいと嬉しそうに微笑んでいました。
宝塚を観劇しましたが、姉は途中で意識を失ったように寝ていました。
その夜、姉は一人ではトイレに行けず、私と兄と甥の3人がかりで引きづるように連れて行きました。
姉が私に、
「(6日後の)お母さんの誕生日までは生きられない」
と言いました。
たしかに顔には死相がでていて、黄疸もでている。でも当たって欲しくない予言。
「そんなことないよ、大丈夫だよ!」
根拠は全くないけど、そうとしか言えませんでした。翌日、病院に戻りました。
翌々日、午前中に病院から電話がかかってきました。
「院長が呼んでいるからすぐ来てください」
と言われ、家族でその時を覚悟しました。
院長から
「今晩までもつかどうか……会いたい人を呼んだ方がいい」
と言われ、焦った私は各所に電話をかけまくりました。もっと姉と一緒にいてあげれば……
看護師が、
「お姉さんが妹さんを呼んでいますよ」
と知らせに来てくれました。
ベッドの上には、なんとか起きようとしてくる姉がいました。
「ぴーたんに話したいことがあるの……話したいことがあるの……」
「ここにいるよ、どうしたの? 教えて」
と聞くも答えてはくれず、
「話したいことがあるの」
という言葉を繰り返すだけ。とうとう何が言いたかったのか聞けなかったです。
臨終の際、泣き叫ぶ母、
「もっと親孝行をすればよかった」
とむせび泣く甥を抱きしめる事しか出来ませんでした。
余命宣告されていたので、いつかその日が来ると家族全員分かっていたし、覚悟もしていたつもりでしたが、やはり姉の存在は大きく、心にぽっかりと穴が開いたようでした。
私はというと、死後の手続きや子供達の学校関連などやる事が多く、姉の為にも頑張らなければと落ち込みながらも奮闘していました。
照れくさくて一度も
「大好きだよ、お姉ちゃん。いつもありがとう」
と言えなかったのが悔やまれます。
姉が残してくれた手紙があります。
「ぴーたんの結婚式が見たかった。ペアの結婚指輪を買ってあげたかった。幸せになってね」
絶対幸せになるよ、お姉ちゃん!!
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