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自己紹介~家族と私の性格、恋愛観~
私の家族
母…下町育ちのちゃきちゃきの江戸っ子。男勝りの性格で頼りがいがある。ノリが良くお茶目な部分も。女手一つで子供3人を大学まで通わせた肝っ玉母ちゃん。実業家。
姉…一回り年上。海外留学経験が豊富で4カ国語が話せる。アメリカンジョークが好きで楽しい。家族や親戚の為なら、とことん尽くす人。44歳の若さで乳がんになりました。子供が2人いるシングルマザー。
兄…11歳年上。政治や歴史に詳しいです。気真面目。家族思いで優しい。50代で大病をしました。仕事にやりがいを持ち、持病を抱えながらも頑張って働いています。
私の性格
内気で人見知り。いつも母の後ろに隠れていて引っ込み思案。ママっ子。
母が自営業だったので家には来客が多く、優しかったり不機嫌だったり怖かったり……色んな人がいたので、幼い頃から大人の顔色をうかがっていました。
姉と兄が兄弟喧嘩をしたら2人の仲を取り持つなど子供らしからぬ行為を誰に言われてもいないのにやっていて、家の中でも気苦労がありました。
小1の男性担任はよく生徒を怒鳴るので、私は作文に、
「先生は怖いです。でも先生は優しいです。お世話にならないように気をつけます」
とお世辞を書いて媚びるくらい怯えていました。
他の同級生は担任の態度を恐れていなかったので、子供時代から私はいわゆるHSP(生まれつき非常に感受性が強く敏感な気質を持った人)だったのではないでしょうか。
また、テスト中はクラスメイトが静かなので落ち着いていて好きな時間でした。
近所に同世代の女の子が住んでいなかった事もあり、家でぬいぐるみ遊びや理想の一軒家の間取りを描くなど想像する遊びが好き。
夏休みの宿題は7月中に全て終わらせたいタイプ。例えばドリルなら日数と枚数を計算して逆算して計画を立て、全10頁なら1日2頁をやる予定が、早く終わらせたいからもう1頁多くやろうなど、どんどん無理をして進めてしまい、夏は脱水、冬は風邪をこじらせてよく入院し本末転倒でした。思えば昔から焦燥感が強い性格。
学校生活では給食の時間が苦痛で仕方なかったです。理由は、ポロポロ落として上手に食事ができないから。周りの目が気になって食べられなくなり、給食の時間が終わっても残さず食べるまで帰してもらえず、掃除をする生徒の邪魔になりながらも食べられずにいました。
業を煮やした担任が給食の時間に母を呼びました。理由を把握してない私は、母は給食がないのでお腹が空いて可哀想だからと自分のお皿の蓋をひっくり返して、おかずを乗せて持っていっきました。
すると、母は、
「給食が食べられないなんて情けない」
と泣き出してしまい、強い母を泣かせてしまった事がショックで自分を責めました。それでも給食は食べられないまま、完食できた事はほぼないです。必要以上に周囲の目が気になる子供でした。
20歳の時、友達に彼氏が出来たと聞いて喜んだのはいいのですが、そこは螺旋階段でお尻から落ちて尾骨骨折。おっちょこちょいな一面もあります。
(学生時代と病気)
保育園→母子分離不安。
母と離れるのが不安。とあるキッカケがあり保育園に通わなくなりました。
小学校→卵巣嚢腫の摘出手術。
病気で欠席は多かったものの、勉強は好きで通信教育で学んでいましたが、それが裏目に出ていじめにあい、不登校になりました。
将来の夢は「ウォルト・ディズニーのような人に夢や希望を与えられる人になること」
中学校→離人症・現実感消失のはじまり。
小学校同様のいじめがエスカレート。根性論をふりかざす担任とは正反対に、不登校の私を見てくれていた恩師に出会いました。
母には高校進学はしなくていいと言われましたが、地元に生まれ育った親の世間体と未来の自分が心配になり、進学を決意。
高校→糖尿病予備軍。
入学して1ヶ月は母に学校の最寄りの駅まで送ってもらっていたくらい心配性。なおかつ方向音痴で、行きと帰りが同じ道でも別の道に感じるレベル。
高校生にして初めて親友ができました。
小中では出席日数も含めて評価され通信簿の成績は1か2でしたが、高1の中間テストで上位に! 自分に自信がつき、勉強を頑張るようになり、学年でトップ5入りの常連に。
積極的で前向きな性格になり、友達もたくさんできました。
部活は体力がないので、学業優先で帰宅部。
趣味の習い事で初めて好きな人ができました。
進路は、自分の闘病体験を活かして「臨床心理士」になりたいと考えましたが、一つの分野を専攻して合わなかったらどうしようと悩み、心理学も好きな美術系の学科も学べる大学へ進学する事に。
大学→離人症・現実感消失がパニック障害ではないか?と思い始めました。
不登校だった私が教員免許を取得。大嫌いだった母校に教育実習に行きトラウマを克服。
母子家庭の母が働いて学費を出してくれているのだからと奮起し、取れる限りの授業を受講。オールAで学年1位。
苦手な体育の成績がBになってしまいそうで不安でしたが、体育の教授から、
「体育委員になると成績をアップさせる」
と言われたので、成績が悪くなるのを避ける為に自ら体育委員に立候補。推薦された学級委員と兼任し勉強以外も奮闘。
就活のエントリーシートに「主観だけではなく、物事を多面的にみられる人になりたい」と書いていましたが、その結果、皮肉な事に自分の指針を見失い決断力がなくなった気もします。
(仕事)
独身時代に5業種、結婚後に2業種、全て違う分野で働きました。
独身時代は興味を持つと、その分野の資格を取って転職を繰り返し、自分ではスキルアップをてきたと思ってますが、実際は向いてなくて長続きしなかっただけかも💦
興味のあることは、とりあえずやってみるタイプです。
(恋愛観)
小さい頃は、男の子は乱暴で汚い事を平気で言ったりやったりするから嫌いでした。
高校生の時に好きな人が出来ました。相手は趣味で知り合った他校の生徒。相手からアプローチされ、私も意識するようになり自分からも積極的にアプローチし、告白されました。
当時は歌手のSPEEDの歌う強い女性像に憧れ、「待っているだけじゃ奇跡はおこらない」という歌詞が好きで、行動的でした。
若い時の出会いは多くないものの、相手から気に入られると気になるパターンが多く、母から呆れられていましたが、自分に自信がないので、こんな私の事を好きになってくれる人はどんな人か興味がありました。
20代の時に結婚前提の彼氏がいましたが家族の反対にあい破談に。以降、なかなか人を好きになれず。
自分から先に好きになったのは夫が初めて。私から連絡先を聞いてアプローチをしました。
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