離人症・現実感消失の要因として考えられること

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離人症・現実感消失の要因として考えられること

①母子分離不安と小児病棟の入院生活    私は母子分離不安がありましたが、原因として考えられるものは3つ。    1.私が母を怒らせた事があったらしく、泣いて謝って足元にすがりましたが、引き離され置き去りにされました。母が帰ってくる夕方まで玄関の外で泣いて待っていて、ものすごく不安でした。   以降、欲しい物を聞かれてもワガママだと思われたら置き去りにされるのではないかと我慢する癖がつきました。    2.保育園に行っている間に母が入院してお迎えに来てもらえなかった事がトラウマとなり、退院後は和式トイレにまで一緒に着いていくように。  保育園に行っている間に母がいなくなってしまうのではと思い込み、登園拒否をするようになりました。    3.  7歳の時に強烈なお腹の痛みが続き、近所の内科に連れていかれましたが手に負えず、区立の緊急病院を紹介され、 「卵巣嚢腫」 だと判明しました。    お腹の痛みは壮絶で、寝ても痛いのが分かり眠ることもできず、のたうち回るレベルでした。    緊急病院は完全看護で、面会も2日に1回、しかも短時間。生まれて初めて母と離れて過ごすのは死ぬほど心細かったです。    隣のベッドの子は頭の手術をする為、スキンヘッドに切開をする印がマジックで書かれていて、幼心に見た目が怖かったのですが、消灯後、話しかけられ同い年だと分かり仲良くなりました。本の貸し借りをしたり、お互いの検査の付き添いに行くようになったり。    夜は小児病棟の子供達が寝るように看護師がナースコールで絵本の読み聞かせをしてくれたのですが、ずっと赤ちゃんが泣き続けていて、 「赤ちゃんも寂しいのに頑張ってるんだから私も頑張らなきゃ」 と涙を拭いながら寝ました。    連日の採血や検査。血管が細い私は採血で2回失敗される事はザラ。2回までは我慢しましたが、針が血管をつきやぶったり、針を指したまま抜いたり入れたり、グジョグジョされて痛いし血の気がひいて気持ち悪くなり、逃げようとしたら大人6人に手足を抑えられ拘束されました。    いま思うとCTやMRIでしょうか。1人で巨大な輪っかの機械に入れられる恐怖は鮮明に覚えています。    離人症・現実感消失はMSDマニュアル家庭版『離人感・現実感消失症』に、「身体的虐待」が要因となる可能性があると記載があるので、もしかしたら、この入院体験が起因しているのではないかと考えています。    その後、その緊急病院では、 「うちの病院では成功例がありません」 と言われ、大学病院に転院しました。    大学病院は。母も寝泊まりできたので、辛い検査や痛みもなんとか耐えられました。姉はモコリンペンというドライヤーで膨らむペンでうんこを書いて笑わせてくれたり、兄はお小遣いをはたいて、まばたきしたり鼻が動くミッキーマウスの人形を買ってくれました。家族の支えは大きかったです。    もう34年も前の開腹手術だったので、下っ腹の所に横に20cmくらいの傷が残っていますが、これでも主治医が 「大人になってビキニが着られるように目立たない位置にしたよ」 と言ってくれた名誉の勲章です。    退院後も寒いと傷跡が痛み、学校は休みがちでした。怖い担任がお見舞いに来てくれ、絵本をくれました。本当は生徒思いの優しい先生でした。    手術から2年後には、体内で溶けるはずの縫合糸が傷口からニョキニョキと飛び出してきました。お風呂の時に椅子に座ると痛かったです。  処置は麻酔なしで医師がピンセットで引っ張って抜きます。  「痛いよぉ」 と泣きながら終わるのを耐えた自分は我慢強い子供だったと信じています。    その頃から肝臓の数値が悪くなり、起きていても気持ちが悪いし、乗り物酔いが酷くなり通院すら大変になりました。漢方を飲んでいましたが、一時しか良くならず。  友達が遊びに来ると途中で布団に横になりながら遊ぶ姿を見ていて、健康な友達が羨ましかったです。   ②小中時代のいじめ、居場所がない    手術後、学校嫌いに拍車がかかった私はますます学校に行かなくなりました。     不登校の子は学校に行きたくないと思えば本当に熱が出たりしますが、親が欠席の連絡をすると治るので、家族には仮病と誤解されて踏んだり蹴ったり。    姉も兄も優秀で学校が好き。子供ながらに、 「みんな当たり前に学校に行っているのに、どうして自分だけ同じ事が出来ないのだろう」 と負い目を感じていました。    時代的にも 「不登校は問題児」 扱い。 「世間体が悪い」 と家族からは嫌がられ、担任や学校側からは「精神が弱い」 と根性論を突き付けられました。    私は勉強が好きで通信教育で学んだり、時には姉や兄に勉強を教わりました。だから、テストの点数は良かったのですが、それが裏目にでました。   学校でテストを受けた時、同級生からは、 「カンニングした」 と騒がれました。勿論、事実無根で心外でした。    学校に行かない理由が病気だと知った周りの女子から、果ては友達にまで、 「病気がうつるから来ないで」 と集団で避けられ、校庭の隅で泣きました。  「うつる」ってなんて嫌な響き。ましてやうちに来て一緒に遊んでいた友達で、体調が悪くなると薬を飲んで寝ているのを知っていたし、母からも友達にうつる病気ではないと話してくれていたのに……    体型もいじられました。  卵巣嚢腫の手術でホルモンバランスが崩れたのか? 小3頃から胸が大きくなり、痩せ型だった体もぽっちゃり体型に。男子からは走ると胸が揺れると好奇の目で見られ、女子からは反感を買いました。  飛び出してきた男子には、 「トラックに跳ねられた」 とネタにされ笑われる始末。    中学時代もカニング疑惑や体型いじりも変わらずあり、体育の授業は見学しました。     でも、家族にはいじめられているとは言えませんでした。特に母には。自分の子供がいじめられていると知ったら悲しいだろうな、悔しいだろうな、ショックを受けるだろうな。    それに、自分がいじめられていると受け入れられません。だって受け入れたら自分が壊れちゃいそうだったから。    家族からはよく、 「学校に行けば他は良い子なのに」 と言われ、黙って俯いていました。  学校に行きたくないから家にいましたが、精神的にはどこにも居場所がなかったのかもしれません。    担任からは保健室登校を勧められましたが、私は何も悪くないんだから! と懲りずに教室に行きました。意地になりながらも自分を奮い立たせていました。    ある日、母に学校へ行きたくない理由がいじめだと観念して話しました。  母は担任に相談をし、いじめはなくなりましたが、やっぱり学校に居場所はなかったです。    休み時間に話す子はいても、放課後に遊ぶような仲の良い友達はできませんでした。今までの経験から、友達は裏切るのではないかと人間不信になっていました。    担任は体育教師で、女性でしたが生徒を呼び捨てにしたり怒鳴るので怖くて。男女関係なく大声を出したり、怒鳴る人が恐ろしいです。    いじめにあったり、居場所がなかったりした事は離人症・現実感消失の要因になったのではないかと推測しています。  
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