ピーちゃんの忘れ物

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ピーちゃんの忘れ物

 インコが逃げてしまった。 「鳥かごを忘れるなんて、間抜けな子」  寒い中、窓を開けっぱなしにしていたのは、私か、彼だったか。  その日の前日は窓を閉めていたはずだけど、朝はどうだっただろう。換気をしようと窓を開けて、そのまま仕事に出てしまったのだろうか。 「別にいいじゃん、また新しいのを買えば?」  彼はそんなことを口走った。あの子を逃がしてしまった罪悪感から目を背けたくて、そんなことを言うのだろうか。それじゃあたぶん、あの子を逃がしてしまったのは彼なんだろう。腹が立つのに、悲しみが勝って何も言えなかった。  新しい子を飼ったところで、ピーちゃんはあの子しかいないのに。もう一度この窓を開けていたら、帰って来られるだろうか。お気に入りのおやつでも、ベランダにまいておこうか。ああでも、他の野鳥が寄ってきたら嫌だから止めておこう。窓だって、虫とか他のものが入ってきても困る。それに寒いし、ずっと開けっぱなしにはしてられない。少しだけ開けておくから、ちゃんと帰ってくるんだよ。  それにしても本当に寒い。外はもっと寒いのに、なんで出て行ってしまったんだろう。外には何もないって、わからないのかな。やっぱり鳥だからかな。    窓を開けた先には、別に緑の溢れる公園もなければ、ただの道路と向かいにはコンビニとか、殺風景な建物ばかりだ。電線にはカラスが時々止まってたりして、正直近寄りたくもない。空は、今日は良い天気だった。やっぱり鳥だから、空の青さに憧れたりするんだろうか。それとも、青色なんて識別できる目もなくて、太陽の温かさに騙されたりしたのだろうか。  やっぱり寒いから、窓は閉めておく。 「よりによって、鳥かごを忘れるなんてうっかりしてるよ」  家がなくて、どう過ごすつもりだったんだろう。あの子は飼い主に似てどこか抜けているらしい。君を守るオリがないことに気づいたとき、きっと心細くなってしまうだろうね。  外にはいつも私があげてるご飯もないし、私が毎日代えてあげてる綺麗なお水だってない。そんなことに、鳥の頭で気づくのはいつになるんだろう。早く気づけると良いね、そこにはお気に入りの止まり木も、オモチャも、おやつだってないんだよ。  何より、私を忘れるなんて。  君の生活の全部を用意してあげたのは私なのに。君のために用意してあげたものだってことすら理解できない君に、それでも私は尽くしてあげてたのになあ。飼い主に似て忘れっぽいんだから。それでも、何もかもを忘れて置いていくなんて、さすがの私でもしないよ。  鳥だからきっとわからなくなってしまうんだろうね。仕方ないから、せめておうちの場所くらいは忘れないようにね。帰巣本能というやつは、あの子にはあるんだろうか。 「あれ、どこか出掛けるの。新しいの探しに行くの?」 「そんなわけないじゃない。友達とご飯に行くの」 「俺の分は?」 「自分で買うなりしてよ、いい大人なんだから」  ピーちゃんがいなくなったと聞いて、励ましてくれる優しい友人とご飯に出掛ける。途中まではよかったのに、見つからなかったら、新しい子とか考えたらって、彼とおんなじことを言うのでガッカリした。ピーちゃんはあの子しかいないのに、皆よってたかって冷たい人ばかりだ。可哀想なピーちゃん、君は今、外で野良猫に襲われているかもなんて、思われているんだよ。  でもきっと、もしかするとそうかもしれない。だって昨日は小雨が降った。寒い中雨に打たれて、凍えているかもしれない。彼女の言うように野良猫に襲われて、休むことも出来ないかもしれない。お腹を空かせて苦しんでいるかもしれない。窓から出て行かなきゃよかったって、後悔しているかもしれない。  そんな風に、私が心を痛めて悩んでいるときだった。  SNSにあるメッセージが届いた。差出人は知らない人。送られてきた写真には、知らないおばさんとピーちゃんが映っていた。 「ペットを探しているとのメッセージを見て、連絡しました」  そのおばさんは最近、ベランダにピーちゃんがいるのを見つけて保護したらしい。よさげなご飯とおやつと、綺麗な鳥かごが後ろに映っていて、たぶんその人もインコを飼っているようだった。 「口笛を吹くと、歌ってくれたりしますか?」  私は意地悪にもそんなことを聞いてみた。ピーちゃんが歌ったら、動画に撮って送ってくださいとお願いした。メッセージを送ったら、5分後には返事が来た。赤ちゃんに声をかけるときのような、気持ちの悪いおばさんの声と、口笛と、ご機嫌なピーちゃんの歌が動画で送られてきた。  ピーちゃんって酷いんだよ。私がその芸を教えたときには、たまにしかやってくれなかったのに。インコってストレスがたまるとお喋りになる子もいるらしいけど、どうなんだろうね。色々考えたけれど、色々悩んでから、やっぱり言うのは止めた。代わりに、おばさんにピーちゃんをお願いしますって連絡をした。 「え?なんで?ピーちゃん見つかったのに、迎えに行かないの?」 「だって、ピーちゃんは“よその家のピーちゃん”になったから」 「ふうん?」 「ちゃんと“うちの家のピーちゃん”を迎えに行かなきゃ。車出してよ」 「わかったよ」  よく考えたら、あの子はご飯だってあんまり食べないし、止まり木が気に入らないのかガチャガチャとうるさかったりしたもの。おやつの時だけ寄ってきて、あんまりなついてもなかった。もしかしたら本当は、私のことが嫌いで、だからあの家に逃げ込んだのかも知れない。それなら、私が迎えに行って、絶望させることもないだろうから、あのおばさんと幸せにね。  さ、今度こそ、あの鳥かごの似合う子を探しに行こう。
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