忘れもの

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「先生、課題持ってきた」 準備室に顔を出せば、先生は向かい合ってふたつ置かれたデスクの奥側に座っていた。 元々2人で使っていた部屋だが、もう1人の先生は今顧問を受け持っており、基本的にここには相沢先生しかいない。 だからこそ俺は気兼ねなくここを訪れている。 「本当に17時前に来やがって。遅いぞ」 「ごめん、友達と話してて忘れてた。先生もう帰る?」 「まだ帰らないよ。仕事が残ってる」 「じゃあ俺邪魔?」 「聞きたいことがあるんだろ? いいよ。教える。何が分からないんだ?」 机の上を片付けてスペースを空けてくれるので、俺はその場所に教科書を広げながら余っている椅子を移動させて腰掛ける。 優しい相沢先生は、忙しくても分からないという生徒には時間を割いてくれる。 その教え方はとても丁寧で、相手に合わせて言葉を嚙み砕き、分かるまで付き合ってくれ、その時の優しい声音も、問題が解けた時の嬉しそうな笑顔も堪らなく好きだ。 だから俺は、分からないふりをする。 先生と居られる時間を増やしたい俺は忘れものをし、分からないふりをして教えてもらい、わざと赤点を取って補習を受ける。 全ては、先生に会うため。 バレないように、先生が俺を見てくれるようにするため。 「何でこんなに真剣に聞きに来るのに、テストはあんなに悪いんだよ。今はちゃんと理解できてるのに」 さすがに極端にやりすぎなのか、先生は不思議そうに問題を解いている俺の手元を見ながら首を傾げる。 「何でかな? 緊張して全部飛ぶのかも」 「その割には他の教科は平均点取ってるし、何ならよく授業も寝てるらしいじゃん。俺の授業は真面目に聞いてるのに。それで何で数学だけ赤点なんだ?」 「数字が苦手なんだよ、きっと。他の教科は基本暗記だし。てか、何で先生そんなこと知ってるの? 他の先生に聞いたの?」 「郷田先生が隣だからな。他の教科も悪いのか気になって。わざとじゃないよな?」 思いがけないその問いかけに心臓が縮み上がる。 やはり、やりすぎだっただろうか。 「わざとなわけないじゃん。誰が好きで赤点取るの?」 「さぁな。俺が嫌いで迷惑かけようとか?」 「俺そこまで性格悪くないよ。俺が先生嫌ってるように見える?」 「まぁ見えないな。むしろ好かれてると思う」 想定外の回答に、今度は心臓が大きく高鳴る。 実際そうだが、相手にそう認識されていることに恥ずかしさがこみ上げる。 頬が熱くなる感じがして、問題を解いて顔を上げないことを自然に振舞おうとしたが、頭に血が上って計算が出来なくなって手が止まる。 「どうした? どこか分からないか?」 問題を覗き込むようにして先生の顔が近づく。 息遣いが聞こえるほどの距離にますます頬は赤くなっていく。 早く平常心を取り戻さなければ不審がられる。 そう思えば思うほど平静を失って固まってしまう。 「向坂?」 喋らない俺を不審に思ったのか、先生が俺の顔を覗き込んだ。 至近距離で先生と目が合い、顔を見られまいと咄嗟に顔を背ける。 このままではヤバイ。勘繰られてしまう。そうなれば嫌悪され、先生と会えなくなる。何か言い訳を考えなければ。 そう思っても焦っている頭ではまともに言い訳も思いつかない。
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