忘れもの

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「向坂は、好きなやついるのか?」 先生は前屈みだった姿勢を戻しつつ、突然花井のしていたような質問を投げかけてきた。 何の脈絡もないその流れにますます困惑してしまう。 「何で?」 「高校生なら、好きな人の一人や二人いるんじゃないかと思って」 「二人もいたら、それって好きな人になるの?」 「どうだろうな。でも、相手のことを全然知らなくても好きだって言うだろ? 男なんか特にエロいってだけで好きだって言ったりする。実際はヤりたいだけなのにさ」 「俺はいないけど、急にどうしたの? そういう話好きじゃないって言ってなかったっけ?」 前に、俺は花井と同じように彼女がいないのかと尋ねたことがある。 そのとき先生は、いないよと答えた。それに続いて、恋バナは苦手なんだと言った。 だから俺は聞かないようにしたし、そういうことを話題に出さなかった。 花井の質問を立ち聞きしていたのも、俺が聞けないことを代わりに聞いていたから、その答えを知りたかったからだ。 なのに、どうして自らそんなことを話題に出してきたのだろう。 「そうだな。好きじゃないよ。プライベートなことだから」 「じゃあどうして聞くの? 話題に出したら、俺も同じように聞くよ?」 「何となく気になって。向坂の話はよく聞くから。モテるだろ」 「誰からそんな話聞くの? 別にモテないよ。告白だって、高校生になって1回しかされたことないよ」 「でも可愛いって、癒し系だってよく女子が話してるぞ。どっちかって言うとマスコット系かな」 「それモテてないじゃん。むしろ脈なしの好きでしょそれ」 「どうだろうな。でも、実際向坂は可愛い系だよな」 何故このような話になってしまったのだろう。 可愛いと言われることは喜ばしいことではないが、先生に言われると嬉しくなってしまうのは、興味を持ってもらえてるということに対してだろう。 「俺男なんだけど。可愛いって言われても嬉しくないよ」 「俺の中では最大の褒め言葉なんだけどな。じゃあ、彼女もいないのか?」 「いないよ。そういう先生も、あれからどうなの? 彼女出来た?」 「出来ないよ。生憎俺には出会いがないから」 「先生こそモテるんじゃないの? 女子がよく先生の話してるよ」 「生徒に惚れられてもな。そういう目じゃ見れないし、付き合おうものなら懲戒免職だ。リスクがでかすぎる」 女子でその認識ならば、男の俺が付け入るスキなどどこにもない。 元々叶うなんて思っていないが、それでも好きな気持ちを止められない俺は、その現実に胸が苦しくなる。 これ以上、自分の可能性のなさを突き付けられるのがつらい。 「確かに。先生、俺もうそろそろ帰るね。暗くなってきたし」 「それなら、俺も帰ろうかな」 「え? 忙しいんじゃないの?」 「今日の仕事はもう終わらせてある。別にいつでも帰れるよ」 「でも仕事残ってるって言ってなかった?」 「それは、仕事が終わってるって言ったら遠慮するだろ?」 そう言って片方の口角を上げる笑顔に胸がときめく。 どうやら俺に合わせてわざわざ残ってくれていたらしい。 こういうところが優しくて、俺のためにしてくれたと勘違いをしてしまいそうになる。 この優しさは俺だけに向けられているわけではないのに。 「俺のせいでごめんね。ありがとう」 「いいよ。俺も向坂と話せて楽しかったから」 「何その口説き文句みたいなの。女子が聞いたら騒ぎになってるよ」 「口説き文句に聞こえたならそうかもしれないな」 「何言ってるの? 今日の先生おかしいよ」 「そうかもな。向坂はバス通学だっけ?」 「そうだけど、それがどうかした?」 「家まで送るよ。暗いし危ないから。ただし、皆には内緒な」 口元で人差し指を立て、いたずらっぽく笑う先生はどこか色っぽく見えた。 これ以上勝手に期待しないように帰ろうと思ったのに、二人だけの秘密が欲しくて俺はその申し出を受け入れた。
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