15人が本棚に入れています
本棚に追加
/376ページ
それは霧の濃い薄暗い早朝の事だった。
一人の少年が大人用の自転車を漕いでいる。黒髪に黒い瞳、やや伸び気味の髪は荒れている。歳の頃は十歳前後だろう。薄汚れた薄いシャツを着ているが、この日の朝の気温は一桁だった。
自転車の前籠には新聞の束が押し込まれていた。少年は古びたアパートの入り口に自転車を止めると新聞を幾つか掴み、階段を上って行った。アパートは全部で四階有った。少年は慣れた足取りでその内目的の部屋のドアポストに新聞を突っ込んだ。
アパートの部屋の内の一つからは祈りの声が聞こえていた。何時もそこを通ると聞こえる声だ。何かの宗教の儀式だろう。だが少年は宗教を信じない。神や仏が有るのならば、今の自分の状況を説明して欲しかったのだった。
アパートを後にした少年は自転車を駆り、住宅街へと消えた。
少年が再度姿を現した時、その自転車の籠は空っぽになっていた。少年はサドルに座れば足が地面に着かなくなるのも無視して自転車を走らせた。やがて大通りに出た彼の自転車。コンビニを通り過ぎるとそこに新聞屋のライトが煌々と輝いていた。
「戻りました」
少年が声を掛けると、一人の男が出迎えた。
「黒田君、今日も良くやってくれた。今月の分の給料を渡さないとな」
「有難うございます」
「礼を言うのはこちらの方だよ。あのエリアは団地も有って人気が無くてね。君が請け負ってくれるのは助かっている」
「はい」
「また頼むよ」
「はい」
黒田と言われた少年は新聞屋を後にした。急ぎその足で裏通りの方へ向かった。小さな川に出た少年は橋を渡りその一画に有るボロボロのアパートへ入った。
「ただいま」
少年が声を掛けると、四畳一間部屋の真ん中で寝ていた長髪の女性が応じた。彼女は重たそうに身体を布団から出した。
「お帰り、蓮志。疲れたでしょう?」
「ううん、母さん。大丈夫だよ」
「何時も何時もごめんね」
「良いよ気にしないで。そんな事より、母さんは寝てて。今日も寒いから」
「でも」
「大丈夫だから。僕は平気だよ。母さんこそ調子悪いんでしょ? 安静にしていないと」
蓮志はそう言うと、キッチンへ向かった。冷蔵庫から卵を取り出し、それを熱したフライパンに割って落とす。そのフライパンも年季が入っていて持ち手にひびが入っていた。これまた年代物の炊飯器から白米を割れた二人分の茶碗に注ぐ。だがその量は茶碗半分程だった。フライパンの上では目玉焼きが出来上がっていた。
「出来たよ、母さん」
最初のコメントを投稿しよう!