教師の話

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 口止めはしたけど、ふとした時に不安が襲いかかってくる。  やっぱり口約束なんか信用出来ないという思いと、天使のような神志名君が告げ口なんてする訳なんてないという気持ちとの板挟み。  なんとか職場にまでは来たが、授業にあまり集中出来なくて、板書の字が間違っていると生徒に指摘されてしまった。  それに、廊下を歩いている時にで神志名君の姿を思い出したかのように探してしまう。  こんなんでは駄目だと分かっているのに上手くいかない。  早く忘れよう。  今日は帰ったらとっておきのバスソルトを使おう。  大事な日に使おうと取っておいたけど、気分転換にはいいでしょう。  それに、ご飯も作るの面倒だし、宅配で何か頼もうかしら。  楽しい事を考えていたら気分が浮上してきた。 「荻野先生」 「木場先生」  授業が終わったあとだからだろうか、雄一の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。  それでも爽やかさは変わらない。 「もうすぐ職員会議ですし、一緒に行きましょう」  断る理由もなかったので頷くと、教材を半分奪うように持ってくれる。  そんなに重くなかったけど、せっかくだから甘える事にした。  こんなにも私を気遣ってくれる。  やっぱり雄一を選んだ私は間違っていなかったわ。 「今日も元気ないと思ったけど、気の所為か?」 「心配かけてごめんね」  困ったように言うと、理由までは聞いてこなかった。 「いいって。結婚の準備とかで負担かけてるから運ぶくらいで元気になるんだったらいつでもやるし。良かったら今日の夜さ家に行っても」 「あー、木場先生と荻野先生じゃん」 「ラブラブしてるね」  からかうように女子生徒二人が話しかけてくるから、足を止めてしまう。  確か生徒会役員の世良さんと七海さんだったかしら。  顔は全く似ていないのに、表情は双子のようにそっくりだった。  いきなり話しかけてきて、ちょっとムッとしてしまう。  早く帰りなさいと注意をしようとしたら、それよりも早く雄一が私の肩を強く抱いた。 「そうだな。オレたち仲が良いからな」  生徒の前でこんなにアピールされた事なんて初めてで、顔が赤くなってしまう。 「ちょっと、生徒の前よ」 「別にいいだろ。みんな俺達が結婚するってもう知ってるんだから」 「学校でしないの」  手を叩くと雄一は渋々私を放した。 「ほんと、木場先生って荻野先生の事大好きだよね」 「ああ。だから結婚するんだしな。お前らもそういう人に出会えるといいな」 「何それ、惚気?」  キャッキャッと騒ぐ二人に優越感を感じる。  雄一は気さくで女子生徒にも人気があった。  それでも選んでくれたのは私だ。  私は困ったように笑った。  それからも女子生徒は色々聞いてくる。  雄一は照れもせずに私の馴れ初めとかを話すから、本当に困る。  愛されてるってわかるから。 「どいてください」  廊下の真ん中で話していて邪魔だったのか、不機嫌な声がして慌てて私達は端による。 「おう、悪いな柊」  雄一は誤りながらも廊下の端による。  彼は眼鏡の奥の瞳をすぐに反らし、ニコリともせずに通り過ぎていった。 「怖っ」 「いくらイケメンでも柊って性格悪いもんね」 「こら、オレたちが悪いんだから、そんな事言うな」  立ち止まっている私達の前を一人の学生が走っていった。  特徴的な栗色の髪を揺らし、通り過ぎていく時にフワリと林檎の甘い香りが香った。  神志名君だ。  まさか会うとは思わなかった私の心臓がドクリと音を跳ねる。  そんな気持ちも知らず神志名君は「柊」と前に居た生徒に声をかけている。 「置いていかないでよ」 「美月に付き合ってる暇なんてない」 「冷たいなー」 「母に今日は早く帰るように言われてるんだ」 「それじゃあ仕方ないね。母さんにお礼言っておいてよ。日曜に行ったアップルパイの店美味しかったって。でも、分かりづらい場所にあって、少し迷っちゃったよ」  え?  その一言に私の頭は真っ白になった。 「まあ、あそこは一歩脇道に反れるとすぐにホテル街に入るからな。絡まれなかったか?」 「心配してくれたの?」 「違う」  神志名君は私には向けなかった笑顔を柊君に向けている。  私の事なんて忘れてしまったかのように。  神志名君は一方的に柊君に話しかけながらも、楽しそうにしている。  学生にはよくある風景なのに、私の心は傷んだ。  姿が見えなくなってから女生徒二人が騒ぎ始める。 「ほんと神志名君ってカッコいいよね」 「会えるなんて、今日の運使い果たしたかも」 「彼女居ないって本当かな?誘ってみよっかな」 「駄目よ。無理に近寄ったら他のメンバーに怒られるわよ」  二人が話している言葉なんて全く頭に入って来なかった。  遮るように放送が鳴る。  職員会議をもうすぐ始めると言っている。 「まずい、荻野先生早く行きましょう。お前たち二人もさっさと帰りなさい」 「はーい」 「先生、さようなら」  私は機械的に二人に手を振ってから、雄一の後を何とかついていった。  色々雄一には話しかけられたが、マトモに返事なんて出来なかった。  家に来たいって言われたけど、疲れていると言って断ってしまった。  少し悲しそうな顔をされたけど、職員会議がすぐに始まってしまって何も言われなかった。  もちろん職員会議で何が話されたかなんて、全く覚えてなかった。
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