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様子がおかしいと言い出したのは、昨日と同じ顔ぶれの宿の従業員の三人だった。
早朝に出勤したものの、宿の前の道が雪かきされていない。普段はここに住み込んでいる江藤が雪かきをしてくれているというのに。
不審に思った彼らは、江藤の部屋の前に立ち、ノックをしてみるが返事がない。
そして扉に手をかけるが……鍵がかかっていた。しかもそのドアノブが、雪のように冷たいのだ。仕方なく、マスターキーを使って扉を開けようとするが、それでも扉は開かない。
「じゃあ、まだ部屋の中には入れていないのか」
青い顔をした小倉が言った。
「はい。どうしても扉が開かなくて」
「行ってみよう。もしかしたら、中で倒れているのかもしれない」
すっかり眠気が飛んだ表情の、医者の牛島が立ち上がった。
江藤の部屋は、客室とは遠く離れたところに存在していた。聞けば、この宿は古民家のお屋敷を改造したものだそうだ。長い廊下を、かなりの時間歩いていかねばならない。
屋敷の周りは降り積もった新雪が覆われており、人が出入りした形跡は全くない。というか二メートルも積雪があるこの場所で、玄関以外からの出入りは不可能だ。
「だから、江藤さんはまだ起きていないと思ったんです」
従業員の一人が言った。
「まさか、こんなことになるなんて」
「いやぁ、見事な雪密室ですね」
どこで合流したのか、例の古物商の■■■がひょっこりと話しかけてきた。
「これは見ものですよ」
「何なんだお前は」
見かねた俺は、そいつにツッコミを入れた。
「縁起の悪いことを言うな。まだ死んでるとは決まってないだろ」
俺たちは江藤の部屋に辿り着いた。牛島が進み出て、ドアを開けようとする。しかし、開かない。
「壊そう」
ドアノブの冷たさに驚き、牛島が決意したように言った。
「阿賀田、来い。お前探偵だろ? こういうの得意だろ」
「いや、得意ではないけど……」
俺は意を決して、ドアを強く揺さぶり始めた。
ドアはびくともしない。しかし、時間をかけて何度かタックルすると、ぐに、とヘンな感触がしてドアはやっと開いた。
「な、なんだよこれ……」
部屋の中に入るなり、俺たちはその惨状に口を覆った。
まず、部屋の中だというのに雪が積もっている。
どうやら、江藤は窓を開けてしまったらしい。窓の隙間から新雪が零れ落ちている。室内の窓の傍にはうっすらと雪が積もっており、その傍で、江藤が血を流して死んでいた。
恐らく胸を刺されたのだろうが、凶器は見当たらない。彼が死んでいるのは火を見るより明らかだった。床には雪と血で凄惨な模様が描かれている。
それから俺の目を引いたのは、部屋中に敷き詰められた新聞紙だった。
部屋の角という角に、丸めた新聞紙とタオルが敷き詰められているのだ。一瞬、防寒や雨漏り防止のために敷き詰められているのかと思うが、どうやら違うらしい。壁という壁の隙間、天井の隅、全ての『角』が覆いつくされているのだ。そして、細かい角の部分には白い接着剤のようなものが敷き詰められている。いったいこれは何なんなのだろうか?
「きゃああああああああ!!」
部屋の惨状を見てしまった従業員が、後ろですさまじい悲鳴を上げた。
「……ダメだ。死んでる」
医者の牛島が、江藤の体を調べていたが、首を横に振った。
「い、い、い、一体誰がこんなことを」
慌てふためいた小倉は、一気に二日酔いの思い頭が吹っ飛んだようだった。
「江藤が、まさか江藤が、自殺を……⁉」
「いや、他殺の可能性もあるぞ、胸にナイフが刺さっていたんだ」
俺が冷静に分析すると、小倉が叫んだ。
「自殺だろ、部屋は内側から閉まっていたんだから」
「江藤はいつ死んだんだ!? 昨日までは生きていただろ!」
市村が、ごく当たり前のことを叫んだ。
「それに、何なんだよこの部屋は。新聞紙と……なんだこの白い塊は。固まった油か?」
俺が尋ねると、牛島が重い顔をして、こう答えた。
「昨日も聞いただろう。江藤は精神病を患っていて、角を恐れていたんだ」
「角?」
「外から、『ティンダロスの猟犬』が入ってくると信じ込んでいたらしい。しばらくは自室をこんなふうにしていたのさ」
「彼は、ティンダロスの猟犬を信じていたんだな」
意外な単語が出てきたので、俺は牛島に尋ねた。
「ティンダロスの猟犬って……クトゥルフ神話の?」
「なんだっけそれ。なんかの怪物だよな。どういう設定だったっけ」
市村が尋ねると、兼業作家の小倉が説明し出した。自身もそのような系統の作品を書く彼は、クトゥルフ神話にとても詳しい。
「どんな所にも侵入してくる、神話生物だよ。彼らは時間を超越していて、どんな密室であろうとも『角』さえあれば内部に入ってこられるんだ」
「ドラえもんの通り抜けフープ(角限定版)みたいな感じか……」
真面目腐った顔で、市村が言った。殺人現場で俺はどう反応していいかわからず、俺は市村と小倉を交互に見やった。
「設定はともかくとして。彼はそれを信じていて、部屋の角という角をこうやって塞いでいたんだな」
「だけどこの密室。本当に神話生物でもないと殺せないような状況じゃないか」
「こんな神話生物がいるかもしれない部屋にいられますか! 私は母屋に戻らせてもらいますよ!!」
突然後ろに現れた、■■■がふざけたように叫んだ。
「……何なんだ君は」
牛島が怪訝そうな顔で尋ねると、■■■が続ける。
「ま、雪密室ですし。我々の中に犯人がいるわけですよね」
その言葉に、部屋の中にいた俺たち全員に緊張感が漂った。
「……そ、そんなバカな」
「まぁ江藤さんは精神病患者だったみたいですし、自殺っぽい気もしますけど。それとも、本当にティンダロスの猟犬がいて彼を殺したとか言うつもりなんですか?」
■■■の問いに、答えるものは誰もいない。あたりは静まり返った。すると、彼は俺に話を振って来た。
「あなたはどう思いますか、探偵の阿賀田さん」
俺!? と思いながら、俺はこう答えることにした。
「とりあえず、警察を呼ばないと」
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