第一章 爆発オチの密室

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「……待ってくれよ」 市村が、牛島をかばうように言った。 「まず密室の謎が先だろ。牛島に犯行は不可能のはずだ。だって、俺たちが部屋に入るまで、部屋は完全に閉じられた状態だったんだから」 「油だよ」 俺が言うと、市村がぽかんとした表情になった。 「油?」 「正確にはラードというべきか。あの部屋には油の塊が仕込まれまくっていたんだ」 「ラードって……たしか、温めるとドロドロになるよな」 「ああ。そして、冷えれば固まる」 「えっと、つまり、あれだろ? 牛島は、部屋のドアの前に、油を敷き詰めたってことか? 確かに油は床に落ちて、熱ですぐに溶けるけど、それだけで殺人現場が密閉された状態になるとは思わないぜ」 「いや、その通りだ」 俺は説明した。 「たぶんこんな感じだ……」 *** [注釈:ここから牛島の一人称] 案の定、江藤の精神状態は悪くなり始めた。冬の古い家では家鳴りがよくする。あれは温度差で発生する、古い梁が鳴る音なのだが、江藤はその音ですら『化け物』が歩き回る音だと信じ込んだ。そうして、俺は彼に吹き込んだ。ティンダロスの猟犬という、全くのほら話を。 彼は角に怯えた。 彼は手上がり次第に、部屋の中の直線を消そうとした。くしゃくしゃに丸めた新聞紙、タオル、綿、布、それをくまなく部屋の隅という隅に敷き詰め始めたのだ。 医師という職業上、狂人の相手をしたことは何度かあるが、ここまで自分の計画通りに狂って行く人間を見て、俺は愉快な気持ちになった。 江藤に恨みはなかった。が、家のしがらみはあった。江藤という一家は、いきなりこの土地に引っ越してきた新参者のくせに、莫大な土地を手に入れていた。 たかが百年の新参者のくせに、このあたりの半分以上の土地を手にしていたのだ。こちらは五百年以上、日本という国が法律を敷く前から、先祖代々はこの主だったのに。何が金田、何が相続だ、この土地は牛島家の物なのだ。 かの一家さえいなくなれば、この付近の土地一帯はこの牛島家のものに戻る。これは殺人ではない。正当な土地の回収だ。 ……と、私の母はいつも言い聞かせてきた。江藤の母と父の殺害は容易であった。まあ、私の母と、彼の母のしがらみについて語る余裕はない。残るは息子のみだ。 三人の命よりも、土地の価値の方が重い。ここはそう言う田舎だった。 ともかく、俺は江藤の部屋に、俺はラードの塊を仕込んだ。それは簡単だった。なにせここは人目の少ない片田舎で、もし不法侵入がバレても『診療』とさえ言えばいいのだ。 さて、部屋の屋根裏にラードが仕込まれた彼は、目に見えて発狂し始めた。 つまり、こういうことである。彼が部屋に帰ってきて、ストーブをつけると、室温が上がる。天井裏に仕込んだラードがとける。天井の新聞紙の端から、ぽたりぽたりと油がたれてくる。 彼はそれが、ティンダロスの猟犬の体液だと信じ込んだ。彼はもはや、自分の身に起こっていることをうまく知人に説明することすらできなくなっていた。 さて、昨日の夜は仕上げだった。大学の旧友たちがTRPGで盛り上がる中、俺はトイレといってそっと部屋を抜け出す。離れで怯えてすごす江藤に甘い言葉をかけ、中に入れてもらう。 彼は完全に、俺のことを信じていた。俺のことを、助けてくれる医者だと信じ込んでいた。 だから、殺害するのは容易だった。帰り血は浴びたが、着てきたコートは床下に隠した。 一般人にはまず見つからないだろう。だが警察が来たらいずれ発見されてしまう。しかし問題なかった。 このラードには三つの目的があった。 一つは、江藤を狂わせること。 二つは、着火剤。 三つめは、密室の作成だった。 俺は江藤を殺した後、ラードを唯一の扉に塗り、扉を固定させた。あまり広範囲に塗る必要はない。金具と、鍵穴さえ固定出来ればそれでよかった。 あとは、部屋のストーブを消し、窓をほんの少し開ければ終わり。 真冬の気温で部屋はどんどん冷えていき、ドアノブを固定した油はどんどん固くなる。 雪国出身でない彼らに、白く濁った油と、雪を瞬時に判別する能力はない。 さて、これで密室の出来上がりである。 *** [注釈:ここから阿賀田の一人称] 「おい、ちょっと待ってくれ」 市村が言う。 「じゃあ、なんでわざわざ牛島は、部屋を密室にしたんだ」 「シンプルだよ。牛島は、江藤の死を自殺に見せたかったんだ。そして、それが疑われるようなら……」 俺は牛島の眼をまっすぐに見た。しかし、牛島は目をあわせようとしない。 「本当に『ティンダロスの猟犬』の仕業に思わせたかったんだよ」 「どうして……」 「もちろん自分に容疑がかからないためさ。捜査の目を欺くために、クトゥルフ神話を使うとは、なかなかユニークな方法を使うな」 「だ、だけど警察が来れば、全部バレるはずだぞ! 指紋は残っているはずだし、犯行に使った凶器も、帰り血を浴びたコートも出てくるはずだ!!」 「いいや、牛島はあえてこの大雪の日を狙った。ひょっとすると、除雪車を壊したのも牛島の仕業なのかもしれない。なぜなら、牛島は証拠を隠滅する時間が欲しかったんだ」 「証拠を……隠滅……?」 「だが、それが逆に証拠を作ることになってしまった。そうだろう、牛島」 俺が言うと、牛島は諦めたようにふっと笑った。 「上手くいくと思ったんだけどな」 それは、事実上の敗北宣言だった。 「そうだよ、俺は密室ごと証拠隠滅を図るつもりだったんだ。凶器も燃える、現場も燃える、真冬でフリースを着込んでいる遺体も良く燃える。だから、警察が来るまでの素人推理なんてどうでもよかった。だけど、なかなかうまくいかないものだな」 「ところで、江藤の部屋って、なんであんなに化学薬品があったんだ?」  突然市村が尋ねると、牛島が答えた。 「江藤は、ああいう化学薬品こそが、神話生物を遠ざけると信じ込んでいたんだよ」 「……ちょっと待ってくれ、化学薬品って、具体的にはどんなだ?」  俺は嫌な予感がして、市村に尋ねた。 「ええと、例えば硝酸とか、硫酸とか」 「いや、それってかなりヤバいんじゃ……」 突然、江藤の部屋の方で爆発音がした。 <第1章 爆発オチの密室 終>
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