第一章 春――厳冬の名残

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 そこからは、目まぐるしく見合いの日々が始まった。職場には父から連絡が入れられており、病気のために退社させられていたため、ふみは逃げることもできない。  休めば迷惑が掛かるし、何より仕事を軽く見ていると思われたくなかったこともあって、ふみは今まで三年間無遅刻無欠勤を貫いていた。  それも一瞬で台無しになってしまった。  うつろな目のまま、もう二十を超えたふみには派手すぎる赤の地に錦糸で牡丹が描かれた振袖を着せられて、両親に付き添われながら毎日毎日見合いへと駆り出される日々。  消えてしまいたいとそう思っても、逃げる勇気も死ぬ勇気もなかった。  浅草の方面にある西洋風の宿泊施設の一間に、代わるがわる現れる男たちは誰もが家柄も人柄も申し分ない。 それでも、「今度は間違いのないように」両親はことあるごとにそう言って、相手を慎重に値踏みした。結果、五十に近い男さえも縁談の相手として絞り込まれる事態になっていた。「ふみを幸せにしてくれる」と父が豪語した男だけと「あとは二人で」とふみは送り出された。 ふみはもうすでに自分の未来を諦めていた。幸せが誰かに決められていく。その工程をただ見つめるだけの傍観者になっていた。 両親の期待を一身に背負い、流行りのカフェー・ミモザへとたどり着くと、男たちは気が抜けたのかそれぞれに自分の都合を押し付けてきた。 「三歩後ろを付いて来る妻になれ」 「仕事に口を出すようなことはしないでくれ」 「俺に文句をつけるようならすぐに離縁だ」 「結婚してやってもいい」  そうでない男たちはふみから縁談を断らせるようにしたいのか、酷い言葉を浴びせる。 「そんな年まで結婚できないなんて君に問題があるんじゃないか?」 「働いている女の人は、男を尻に敷きそうだからな」 「君は一人でも生きていけそうだから」 「君と結婚しても幸せな家庭は作れなさそうだ」  ふみはもう誰に対しても期待などしていなかった。 ――どうしてこうも、別れの言葉に品性の無い男ばかりなのかしら。  たった一度会ったくらいで自分の何が分かるのだろうか。そんなことを思いながら、聞かれたことに対して淡々と答えていった。自分から「働きたい」という願望や未来の話は一切口にせず、事実だけを淡々と。  タイピストとして働いていること、二三歳、洋服が好きなこと。  男たちの相手をすることに疲れを覚えつつ、ほとんど毎日同じように自分について話していると、仕事ばかりに一生懸命になってきたことに気づかされた。  恋愛の一つでもまともに経験していたら、もっと違った人生があったのだろうか。そんなことを思いながら、それでもタイピストとしての自分を嫌いになることはできなかった。  自分にはやはり仕事しかないのかもしれない。  ふみの中で出た結論とは裏腹に、この中の男たちから婚約者を選ばなければならないと思うと、井戸の底に落ちたように希望の光が小さくなっていった。  働いてきた時間があったから、今の自分がある。  決して恥じることはない。 ないのだが。  男たちの一言一言に傷付かないほど、ふみの心は堅くなどなかった。 ――働いてきたことは悪くないはずなのに。  張り付けただけの作り笑顔の下で、ふみはどんどんと暗闇へと堕ちていく息苦しさに耐えるしかなかった。  そんな男たちの中から「ふみが良く笑っていた」という理由で、何人かが嫁ぎ先の候補として父に選ばれ絞られていった。  ふみはその中でもとびきり家柄の良い男を数人選んで見せた。ふみの中に彼らを選ぶ基準など存在していない。誰も彼も結婚なんて到底したいと思えない男だった。それでも、家族の平穏を祈るなら、この生活が一刻も早く終わるなら。そう思ってふみは自分の意思とは関係なく、誰かを選ぶしかなかった。  千代だけが父に反抗していたが、取り合ってもらっている姿を見ることはなかった。  憔悴しきったふみの顔に誰も気付くことなく、縁談は不気味なほどに順調に進んでいった。
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