第一章 春――厳冬の名残

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 父との約束である二週間が翌日に迫った晴れの日。ふみは実に七人の男との見合いを経て、今日八人目との見合いを終えていた。昨日までの時点で適当に数人選んでいるので、本当は会う必要がなかったはずの男だった。それでも両親が「念のため」というので、会ってはみたもののこれまでの男と比べてずば抜けて気に入ることもなく、それでも相手を無下にしないようにふみは一連の流れをこなした。 他の男と比べて、といっても誰の顔もぼんやりとした覚えておらず、どの言葉も心には残っていない。ただふみの見えないところに傷だけが増えただけの日々。  いつも通りカフェー・ミモザの窓際の席で、一人珈琲を冷やしていたふみの隣から聞き覚えのある声が飛んでくる。 「大事ないか」  虚しく青い空から目を離し、右側を振り返るとそこには一誠がいた。今日は以前のようなスーツ姿ではなく、紺の着物を涼やかに着こなしていた。スーツの時よりも、温和な雰囲気をまとった一誠は突然現れた春のようにも思える。 洋装だけでなく和装でも随分と映える姿は、店内でも少し浮いて見えるくらいだった。  ふみは一誠に話しかけられたことに一瞬驚く。しかし、それを隠すように作った笑顔を崩さないよう懸命に微笑みを返した。 「今日もお見えでしたのですね」  一誠は毎日決まって午後にこのカフェーに寄る常連らしい。ふみが毎日のようにこのカフェーに出入りするようになり、見かけない日は無かった。  「珈琲を一つ」と慣れた様子で女給に注文を伝えた一誠が隣のテーブルに座る。 「もうすっかり私のことなどお忘れかと思いましたのに」  自分を心配してくれる一誠には悪いが、つんとした態度を取らないと弱い自分を見せそうでふみは怖かった。  それほどまでに、大事ないか、という一言がふみの中にじんわりと沁みていく。 一誠がふみの存在を認めているのか否か今日までわからなかったが、どうやら前者だったらしい。ふわりと笑った一誠に、以前会った時とはまた違った優しい印象を受ける。 「自分を削ってまで結婚する必要はないと俺は思う」  表情の読めない一誠の真剣な顔に、ふみは戸惑ってしまった。 「まあ。先日は結婚しろと言っておきながらですか?」 「そうだな」  少し柔らかく崩れた一誠の表情に、ふみもくすりと笑う。肩に入っていた力が抜けて、少し楽になった心地がした。  ふと、「もしも」と考えたあの日のことを思い出す。  一誠はまだ自分との婚約を考えてくれているのだろうか。  それなら、いっそのこと――。 「そうやって笑える男と出会えるといいな」  一誠は運ばれてきた珈琲を素知らぬ顔で口に運んでいる。 「なんだ、その不服そうな顔は」 「そんな顔しておりません」  一誠を見つめていたことにも、自分がそんな顔をしていたことにも驚いて、ふみは下向きに目線を落としながら頬を両手でぱちりと叩いた。 「本心だ。安心しろ。君がずっと表情の無い顔だったから心配だった」 「そう、ですか」  かろうじて相槌を打ち、現実に戻る。  ふみはこの辛さを乗り切るために、一誠を利用できないかと一瞬でも考えた自分を恥じた。あれだけ一誠に対し嫌悪を示して断ったというのに、手のひら返しにも程があるではないか。  一誠のことは忘れよう。  今日ですべての見合いも終わった。もうここに来ることも無い。今日までに会った見合い相手の中から、生涯の伴侶を選ぶだけだ。  それだけ。  それだけなのに。  ふみは珈琲をすべて飲み干すことを諦めて、席を立った。 「ご心配ありがとうございました。またどこかで」 一誠に向き合って、軽く一礼する。 「桜は咲く。必ずだ」  彼の笑顔は確かに何もかもが上手くいような気にさせてくれる。気休めでもふみにとってはありがたい。  もう一度、一誠に一礼を返し、ふみは店を後にした。 ――しゃんとしないと。  もう自分以外に自分を守れる人間はいない。  そうだ、一回会ったくらいで相手のことなどわかるはずもないのだ。これから幸せを築いていくように、努力すればいい。 ――私は頑張ることしかできないから。  ふみは自分にそう言い聞かせ、これからを前向きに捉えてみる。しかし、その心とは裏腹に派手すぎる振袖を着た足がおぼつかなかったことに、ふみは目をつむるしかなかった。
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