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結局その後、紬の自虐と見せかけたノロケ話を延々と聞かされるハメになり、ラストオーダーで店を出るまで数時間の無を味わった。
話を逸らすにしても話題の選択は慎重にすべきだった。次は紬の実家の柴犬の話を振ることにしよう。
この週末は特に何事もなく過ごし、そして月曜の朝を迎えた。
今日の天気は晴れ。
まだ夏の始まりだというのに今日は暑い。
バス停でバスを待つ間もとにかく暑い。
ここ数年の夏の暑さはホントに異常だ。
生きてるだけで気力体力を奪われる。
やっと到着したバスに涼を求めて乗り込むが、乗客だらけでエアコンが全く効いていない。手汗が酷くて吊り革に掴まるのも躊躇してしまう。
とりあえず、会社に着いたらまずは美織さんに謝らなければならない。酔っ払いがやらかした設定とはいえ、週末の親子水入らずの時間を邪魔してしまったのは事実だ。
ほどなくして会社に到着し、比較的涼しい四階建ての社屋を階段で上る。社長に遭遇すると気まずいのでエレベーターは使わない。
出社の早い美織さんは既に着いているはずだ。先日のこともあって緊張しながら更衣室のドアを開けると、やはりそこには美織さんの姿があった。
「美織さん、おはようございます」
「あ、おはよう。今日は暑いねー」
「ホントだよ。もう帰りたい。……ところで金曜はごめんね。酔った勢いで電話しちゃって」
「いやいや。誘ってくれて嬉しかったよ。今度時間ある時よろしくね」
あの時は特別な事情があって誘った訳だが、本当に美織さんが来てくれたら嬉しいな、という気持ちももちろんあった。
家庭のある美織さんとの付き合いは、昼休みのちょっとした外食くらいが精一杯だ。たまーーに休日の昼に美織さんのマンションに遊びに行って娘の絢音ちゃんと絵を描き散らしたりすることもあるが、夜に長時間一緒に飲むというのはなかなか難しい。
それでも、美織さんがお酒好きということを知っている身としては共に旨い酒を酌み交わしたいのだ。今まで遠慮してなかなか誘えなかったが、この機会にちょっと押してみることにした。
「美織さん、空きそうな日ってある?」
「んー……、旦那が家にいればねぇ」
「あんまりいないの?」
「最近よく飲みに行ってる。ここんとこ週末は大体いないな」
まさかそんな頻繁に出掛けているとは。
もう不穏な予感しかしない。
そろそろ自分の信じる力の限界を感じ始めた。
これはもう悠也さんの無罪を証明するのは難しいかも知れない。
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