Episode 8 アニエスとケイ

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Episode 8 アニエスとケイ

 うだるような暑いNシティの夏もようやく終わり、朝夕はすっかり秋の空気が漂う季節になった。午後の四時を過ぎたブリッジが右側に凛と構えるEリバー川沿いの公園。向こう岸にそびえ立つシティのビル群が一望出来る場所だけに観光客やカップルも多かった。  初老の紳士、リチャードの初仕事を請け負ったあの夜から一週間経った。あの夜の報酬を受け取るためにアニエスから呼び出されたケイ。ラッキーストライクの煙をプカプカとふかしながら川沿いの欄干からシティのビル群を眺めている。背後でアニエスが乗ったタクシーが止まり、ケイはそちらを振り返る。まるでファッションショーのモデルを見てる様なウォーキングで歩いて来るアニエスにケイは吹き出しそうになる。 「なにが可笑しいの?」 「だってあんたファッションショーのモデルみたいな歩き方だからさ、もしかしてモデルやってたとか?」 「ああ、若い時ね、その時の癖が抜けないのよ、良く言われるわ」  本当だったのか、とケイは驚かされた。アニエスはブランド物の金色で派手なトートバッグから厚めの封筒を取り出しケイに差し出した。 「今どき報酬をキャッシュでよこせなんて、電子口座くらい作ったらどうなの?」 「生憎私ら漂流者は簡単に口座なんて作れないんでね」  ケイが封筒の中身を確認して大雑把に札を数えながら言う。 「電子口座があれば即金で払えるわよ、毎回毎回キャッシュで手渡すのは逆に面倒なのよね、なんなら銀行のディーラーを紹介してあげるけど」 「いや、No Thanks!」  シティでは銀行に口座を持つのは一種のステータスだ。ケイのような漂流者たちはIDすらまともに持てないのだ。全てが電子化された昨今ではケイのような漂流者たちはますます生活しづらくなっているが、当然裏社会では偽造IDや電子パスポートなど金さえあれば簡単に作れてしまうからおかしな話だ。実際、ケイが所持している免許証やIDは偽造品だった。それが普通に使えてしまうのもシティの魅力だ。 「リチャードがよろしく言ってたわ、どうやら気に入られたみたいよ……ところで先日の取引きだけど、あなた誰かに口外してないわよね?」  Nシティ警察はアニエスらの取引き情報を事前に掴んでいた上で現場に二機のドローンを配置させた。どこからか情報が漏れた可能性は明らかだ。 「私だってそこまでマヌケじゃないよ、どれだけ裏社会で仕事してると思ってんのさ。まあ、ペドロには一応あんたらとも仕事をする事は話したけどね、細かい詳細まで話すわけないじゃん、ああ見えて敵対側の人間だろ?」 「……そうよね」 「あのカークってキザ男は? なんか胡散臭かったんだよな、あの男」 「それは無いと思うけど、まあ良いわ、こっちで調べるから」 「ペドロから聞いたんだけど、あんたペドロとは仕事仲間だったとか」 「昔の話しよ、私だって最初はあなたと同じような生活だったわ。ペドロとはその頃からの長い付き合いなのよ。彼にはいろいろ世話になったわ。今だから言うけど、最初はあなたを使う事には半信半疑だったのよ、でもまあ、先日の仕事ぶりを見た限りでは合格点をあげるわ」 「そいつはどうも」 ※※※※※※※※※※※※※※※※※  Nシティ警察署。建物自体は既に老朽化が進んでいるくらい古い。一階の受付窓口はいつものようにごった返す騒ぎだ。あちこちから英語以外の言葉が署内を飛びかっている、実にカオスな状態だ。  多言語対応の受付専用ロボットの前では行列が出来、ケチな窃盗や暴行で捕まった常連共を警察官らが蹴飛ばしながら別の部屋に連れて行く。 「オイ、泥酔野郎やヤクでイッちまってる奴らを中に入れるんじゃないとあれ程言ったろうが! 外のオリにぶち込め、臭くて仕事にならんだろうが!」  巡査部長のペドロが怒るのも無理はない、実際、署内は泥酔者やヤク中が床に撒き散らしたヘドや糞尿の匂いが充満している。 「清掃係を呼んでくれ、まったくたまったもんじゃないぜ」  ごった返す署内に人を掻き分けながらケイが入って来た。ペドロがケイの姿を見つけ、大声でケイの名を呼んだ。 「今日はまた一段と凄い匂いだね、Xmasにはまだ早いんじゃないの」  ケイが鼻をつまみながらようやくペドロのいるカウンター前に辿り着いた。 「今日は何よ、わざわざ呼び出して」 「悪いなケイ、急な案件だ、こっちへ来てくれ」  ペドロがカウンターの奥へ手招きする、わざわざ遠回りするのが面倒だとばかりにカウンターを飛び越えて、ズカズカと署内の事務方たちが座るデスクの隙間を歩いて行くケイ。幼い頃に遊び場のように過ごした署内はケイにとっては親戚の家に立ち寄るみたいな感覚だ。ケイの母がペドロの紹介で清掃や雑務をして働いた場所。署内の見取り図は隅々まで頭に入っている。一階の裏からペドロの跡に着いて二階への階段を上がる。取り調べ室1と書かれた部屋の前、ペドロが立ち止まった。 「日本人らしいんだが、英語がほとんど通じない、だからお前を呼んだんだ」 「通訳かよ、私の仕事じゃないぜ、通訳ロボットを使いなよ」 「一階の状況を見たろ? 一台メンテナンス中で今は受付ロボットだけなんだよ」 「で、シティで迷子にしちゃ取り調べ室ってのはないよね、万引きでもしたのか?」 「こいつを持ってたのさ」  ペドロがケイの鼻先に突き付けた。プラグ型の電脳ドラッグだ。それだけではなかった、ピルケースに入ったカプセル型の電脳ドラッグまである。
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