Episode 2 天使たちの場所

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Episode 2 天使たちの場所

 ケイはシティのH地区を750CCのモーターバイクで流していた。  ケイのアパートメントがあるB地区はシティの中心街から外れた場所にある。このあたりに住んでる人間の大多数は他の国から流れ着いた漂流者が多く、国籍も多彩だ。建物自体も古く、中には廃墟寸前の一角もある。シティの都市計画から外れた地域は探せばいくらでもあり、もはや建物の持ち主さえわからないような物件も多数あり、家賃も無料(タダ)同然だったりする。  朝っぱら開け放たれた窓から大音量で音楽を流す住人たち。サルサ、カンツォーネ、クラシックからジャズやブルース、ヒップホップにロック、ケイも当初はこの環境に慣れるまでは大変だった。ノイローゼの一歩手前まで行った……。だが、慣れてしまえば逆にこの雰囲気が日常的となり、音楽が聞こえて来ない日は自分以外の住人が夜のうちに別の場所に移り住んで行ったか、あるいは都市計画を推進するシティの役人共に葬り去られたか、と思うことも良くある。  ケイの隣室に住むドラァグクイーンのシンディが派手な化粧とナイトガウンのままケイの部屋にズカズカと入って来た。どこの部屋も鍵なんてあっても無いようなもので、誰も鍵なんて掛けずにいる。  盗まれて困るような物は皆無だし、皆が似たような境遇のため連帯意識が強く、家族同然か世話焼きの隣人ばかりである。また、部屋によってお湯が出ない、水が出ない、ガスが使えないパターンもあり、トイレは使えるがシャワーが使えない、その逆も然りだ。ケイの部屋は幸いにも全てが使えるラッキーな部屋だが唯一空調だけが利かない。隣室のシンディの部屋は水もお湯も出ない、ガスも使えないが空調は生きている。したがって持ちつ持たれつの関係が自然と出来上がる。  タンクトップとパンティ一枚の姿でベッドにうつ伏せてるケイを見たシンディ。 「あらあら、仔猫ちゃん、まだ夢の中なの? 相変わらず寝坊助ちゃんね」  ケイの部屋のトイレで用を足したシンディは一応キッチンと呼べる場所でお湯を沸かし四人分のコーヒーを煎れている。正業であるドラァグクイーン専門のナイトクラブで仕事を終えて朝方友人らと帰宅したのだろう、いつもの事だ。 「仔猫ちゃん、コーヒーは?」とシンディの問いに「ノー、サンキュー」と枕に顔を埋めたままケイは答えた。  ケイが現在請け負っている仕事はシティに巣食うギャング共の一掃だ。依頼主はシティの良心と揶揄される警察上層部の一部だ。彼らは少しでも自分たちの仕事を安全且つ面倒ごとを増やさない様にケイのような漂流者たちに仕事を斡旋している。報酬を与え持ちつ持たれつ、利害関係の一致の様に見えるが、警察側はイザとなればケイのような末端の人間を平気で裏切る腹積もりでいる。それはケイ自身も百も承知していた。所詮は双方共に騙し合いの世界だ。ましてや警察など鼻から信用していないケイ。  とりあえず、依頼案件をこなし報酬を頂く、それ以上でもそれ以下でもない。先手を打って相手を潰す、奴らに考えや行動を起こされる前にだ。それがケイのやり方だった。  昼間を回った頃に部屋を出てH地区へバイクを走らせるケイ。  H地区の教会には熱心なキリスト教信者たちが多い。したがって毎週日曜日のH地区の通り沿いはお祭り騒ぎのように人で溢れている。通りにある古くて小さなデリ、看板は読みにくい程錆びついているが『Sam's Shop. Place of Angels』(サムの店・天使たちの場所)と書かれている。黒人店主のサムが経営している店で、サムは裏社会では故買屋としても有名だ。ケイは常連でもある。 「こんちわ、サム、調子はどう?」  入口ドアに付いてる鈴の音がカランカランと鳴り、カウンターの中で椅子に座って新聞を読んでいたサムが老眼鏡をずらして上目遣いでケイを見た。 「ケイ、まだ生きてたか?」 「当たり前だろ、私が来なくなったらこの店も終わりじゃんか」 「生憎だな、客はオマエさんだけじゃないんだ」 「へッ、良く言うよ。注文のやつ、届いてるかい?」  ケイの言葉を聞いてサムは面倒くさそうに立ち上がり一旦奥へ消えると小ぶりの段ボールをひとつ抱えて戻って来た。 「今どき紙巻きタバコなんて吸ってるのはシティの中じゃオマエさんくらいのもんだぜ、そろそろ禁煙したらどうだ?」  そう言いながらサムはラッキーストライクをツーカートン箱から取り出してカウンターに並べる。さらにケイの愛銃でもあるコルトガバメントの45ACP弾が入った箱を次々に並べた。 「注文通り、あってるか?」 「No Problem!」 「いつもより数が多いが、戦争でもおっ始めるつもりか?」 「フン、まあ用心に越したことはないじゃん」 「ギャング共を潰して回るのは良いが、依頼主から裏切られない様に注意することだな。奴ら警察はオマエさんなんて不都合が生じれば直ぐに切り捨てるだろうからな。警察にとってはギャング共もオマエさんも目の上のたん瘤さ」 「ご忠告には感謝しているよ」  ケイはそう言ってジーンズのポケットから紙幣の束を取り出して雑に数えると少し余分にカウンターの上に置いた。ケイは並べられている品物を再び段ボール箱に戻すとそいつを抱えて「See You!」とサムにウインクして店を出て行った。  NシティのW地区。このあたりはシティの中でも大企業がテナントとして入っているか、もしくは一流企業の自社ビルが多い地区でもある。そのためか通りを歩いている人々もキチッとした身なりのビジネスマンやビジネスウーマンが多い。  ビルからアニエスが出て来た。表の顔として一流企業の社長秘書という肩書きで働くには申し分ない程に洗練された、まるでファッションモデルの様なスタイルで凛として歩いている。その跡を追う様に一台の車がゆっくりと動き出した。やがてアニエスの歩く横にビタリと並走する。アニエスはごく自然にスッと後部座席のドアを開け車内に滑り込むように乗車した。乗っているのは初老の紳士だった。 「早速だが用件を言おう、近頃シティのギャング共が次々に襲撃され潰されているという話しは聞いたかね?」  後部座席に乗っていたその紳士が前を向いたままアニエスに訊ねた。 「噂では東洋人の若い女だとか」 「フム……問題はその東洋人の小娘の依頼主だ」 「というと?」 「シティの警察じゃよ、厄介者や危険人物を自らは手を下さず、得体のしれないシティの底辺で生きる流れ者たちに報酬をチラつかせ上手いように手なづけておるらしい」 「フッ、如何にもシティの警察がやりそうな事ですね」 「こちらとしては商売がやりづらくなっておる、とりあえずその東洋人の小娘を何とか始末出来んかね?」 「勿論、やれとおっしゃるなら」 「助かるよ、ただ気をつけて行動したまえ。一部のギャング共が小娘を狙っとるらしいでな。くれぐれも巻き込まれないように……」  初老の紳士は最後までアニエスの顔を見ることもなく、話しは終わりだとばかりにアニエスに手で追い払う仕草をした。アニエスが車から降りると何事も無かったかのように車は静かに走り去った。  表向きは一流企業の社長秘書、アニエス。だが、シティの裏社会では凄腕と称された最高レベルのハッカーとして有名な女だった。
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