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「田山さん。アロマ一本入ったからよろしく。」
珍しく午前中から出勤している店長が、アロマを希望した女性客の会計を済ませると、そう言って私に目配せした。
私は即座に「はい!」と返事をして頷くと、レジの前に立つ女性客の側へ歩み寄った。
本日朝一のアロマのお客様は、茶髪ロン毛にミニのスカートからすらりとした足を出した20代前半と思われるギャル風の女性。
その身なりと少し疲れた表情を見て、たぶん歌舞伎町で働く女の子だろう、と思った。
私はその女性客にエッセンシャルオイルの希望を尋ねた。
エッセンシャルオイルは別名精油ともいい、柑橘系や森林系の香りを楽しむだけでなく、ストレスを和らげたり、身体のバランスを整えたりする作用がある。
「お客様。当店ではお客様にお好みのエッセンシャルオイルを選んで頂いております。種類はラベンダー、ゼラニウム、シダーウッド、グレープフルーツがあります。如何致しますか?」
女性客は少し迷っていたけれど「ゼラニウムで」と顎を軽く動かした。
ボディや足裏の施術は薄いカーテンで遮ったベッドの上で行うのだけれど、アロマオイルマッサージはお客様が肌を露出する為、店の一番奥の厚いカーテンで遮られた一室で行う。
私は女性客をいつものように奥の部屋へ案内した。
流れとしては、お客様が衣服を脱いで紙のパンツ1枚になり、うつぶせになったところでスタッフにお声掛けして頂き、その後施術を始める。
「それでは施術をさせて頂きます。本日は私、田山が担当致します。力加減が強すぎたり弱すぎたり感じましたらすぐにお声掛けください。それではよろしくお願い致します。」
お客様はうつぶせのまま軽く頷いた。
私は手の平にたっぷりのトリートメントオイルを乗せ、まずはそれをお客様のふくらはぎに塗りリンパを流していった。
トリートメントオイルとは精油を植物油で希釈したオイルのことで、これを使ってお客様の身体をマッサージしていく。
ふくらはぎが終わると足の裏のツボを押し、そして太腿の肉を親指と手の平で上下左右に摩り捻る。
下半身を入念にマッサージすると今度は上半身だ。
背骨に沿って親指を滑らせ、肩甲骨の上を反時計回りに半円を描く。
両腕、手の平、指、首筋などにもオイルを付け、リンパに沿って滑らせていく。
背中を充分にマッサージしたら仰向けになって頂き、鎖骨、首筋をオイルで流す。
お客様の希望によって強弱を調節するのだけれど、ダイエット効果を期待するからか、痛いくらい強めの施術が好みのお客様も多い。
60分をかけてこの施術をするのはけっこうな重労働だ。
これで3980円なのだから、エステに通うと思えばかなりお得な料金設定だと思う。
「リリー」はアロマオイルマッサージだけではなく、他の施術も60分2980円でサービスを提供している格安店なのだ。
体力勝負の大変な仕事だけれど、施術後のお客様のお風呂上がりのようなサッパリとした顔を見ると、疲れも吹っ飛んでしまう。
施術が終わり、お客様の身体を温かいタオルで丁寧に拭いた後、お着替えを待つ。
お客様の支度が終わると靴をベッドの下へお持ちし、店の扉まで案内して「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。」と一礼しながら見送り、無事完了。
お客様が使い終わったベッドを、次のお客様が来店するまでに整えるのは、手の空いたスタッフが手伝ってくれることが多い。
今日も客足が遅くスタッフの手が空いていたこともあり、一応ベッドを確認しに行くと、すでに綺麗にベッドメイキングされていた。
バックヤードで水分補給をした後すぐにアウターを羽織り、店長に「外、行ってきます!」と一声かけると、チラシを持って店を出た。
次のお客様の順番が回ってくるまでの空き時間で、ビルの側の路上でチラシを配るのも大切な仕事のひとつだ。
配っている時間は一切賃金が発生しないけれど、チラシを見て来店するお客様も少なくないのだから、これも自分たちの稼ぎの為なのだ。
店がオープンしたばかりの時は、まだ客が全然入らないこともあり、一日中チラシ配りをスタッフ全員で行っていた。
疲れと眠気で気を失いそうになり、花園神社の境内でしばしうずくまって休んだこともあった。
その時に比べれば、いまは客足も安定していて、チラシ配りは一回30分程度で交代できるのが有難かった。
「よし。やるか。」
私はそう小さくつぶやいて気合を入れると、店の名前と施術内容やその値段が大きく書かれているオレンジ色のチラシを、道行く人々に差し出しながら声を掛け始めた。
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