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黄身色に染まる
「ボウルに卵を2つ割り、良くかき混ぜる。」
鈴木亮太は開いた料理本のオムレツのページを読み上げる。手順通り丁寧に卵を2つ両手で割り、泡だて器で懸命に円を描く。卵白と卵黄が混ざり、透明だった卵白は黄身色に変わっていく。
鈴木が清水愛と初めて会ったのは、漫画研究サークルの新入生歓迎会の時だった。
先月、大学に入学したばかりの鈴木はサークル勧誘が激化する中、漫画が読み放題と聞いて漫画研究サークルに入ることを即決した。
漫画研究サークルの歓迎会では毎年、新入生を含めた百を超える学生が集まる。主役となる新入生の鈴木とは違い、清水は新入生を迎える側の漫画研究サークルに所属する大学3年の先輩だった。歓迎会が始まると、サークルの代表から挨拶があり、新入生が簡単に自己紹介をして自由時間となった。歓迎会の新入生は主役ではあるものの、まだ馴染めない空気に右往左往する人ばかりだ。鈴木は代わる代わる先輩に話しかけられては、名前も覚えられないまま別れることを繰り返した。鈴木にとって清水はその大多数の内の一人でしかなかったが、手にいくつも貼られた絆創膏がやけに印象だったので憶えていた。
鈴木が清水と次に会ったのは、講義室に遅刻して入ってくる清水を見た時だった。実際は、遅刻してきた清水が鈴木の近くを通って初めて、鈴木は遅刻してきた学生が清水だと分かった。歓迎会の時と同じで手に多くの絆創膏が見えたから。講義名は「精神病理学の基礎」で、うつ病などの精神病を扱う。基礎科目で学生なら誰もが受けられる講義ではあるが、水曜日5限と遅い時間で出席は取られないものの難易度の高いテストで不人気の講義だ。だから、鈴木は清水が同じ講義を受けていること以上に、漫画研究サークルの人がいることに驚いた。鈴木は漫画研究サークルには学問に消極的で面倒な講義を選ばない人ばかりだと思っていたから。
「あっ。」
先に声をかけたのは清水だった。声をかけたというより驚いて声を漏らした。気づかれた鈴木は会釈して縮こまる。
「鈴木くんじゃん、久しぶり。新入生歓迎会ぶりだよね。ここ、座ってもいい?」
清水はそう言いながらも、鈴木の許可を待たずに同じ長机の1つ開けた隣の席に座る。
「この講義、出席ある?」
清水は鈴木にだけ聞こえる小声で尋ねる。
「要項通りなら『ない』と思います。」
鈴木は清水の声のボリュームに合わせて答える。「そっか。」と清水は笑って荷物を下ろす。
「じゃあ、講義終わったら起こして。」
清水は鈴木にそう言って、ノートも開かず長机に突っ伏した。
「先輩、清水先輩。」
鈴木が清水の肩を揺らして声をかける。清水は閉じていた目をゆっくり開いて、鈴木の方を睨むように視線を動かす。睨まれた鈴木は揺らして手をピタと止める。清水は寝ぼけている状態から状況を把握して鋭くなった目をパチリと大きく開く。
「ああ、もう終わった?」
清水の声は寝起きで低い。
「はい、本当に寝ていたんですね。」
鈴木は心配そうに清水を見る。
「あの、ノートとか……」
「あー、いいの、いいの。それより、鈴木くん、起こしてくれてありがとね。」
清水はそう言って直ぐに講義室を出ていった。
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