隣り合う夏を越えて

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「はぁ!はぁ!どうしてっ……!?」  俺は走りながら何度も問いかける。遠くから花火の打ち上がる音が聞こえ始めた。花火会場に向かって押し寄せてくる人ごみの間をすり抜け逆走する。  走っていると、夏の夜のじめじめした空気が体にまとわりつき汗が吹き出てくる。これ以上もう息が吸えないと思うほど、息が上がる。喉の奥から血の味がする。それでも走る足は止められない。  なんで。なんで。歩道橋で待っていてって言ったのに。歩道橋だったら大丈夫だったのにっ。  右手に握るスマホにメッセージが映る。 『やっぱり駅ビルの前で待ち合わせにしよう』というひまりからの返信。  なんで……なんでなんだよっ。どうして避けられないんだよ。  これはニ度目だっていうのにっ! ***  ひまりと初めて会話を交わしたのは入学式を終えた後に案内された教室だった。隣の席に座るひまりが消しゴムを落として、俺が拾う。それがきっかけだった。 「ありがとうっ」  笑った顔がぱっと明るくてヒマワリみたいに笑う子だなって思った。  初めての教室と初めての顔ばかりの中で感じていた緊張がお互いに溶けてそれから色々と話した。 「初めまして。これからよろしくね。名前は?わたし、折笠ひまり」 「俺は藤堂タクミ。よろしく」 「藤堂君は何中だったの?」 「俺は東第二中」 「へー。わたしは東第一。わたし、陸上部だったんだけど東第二中さ、団体リレーが強くていつも負けてたんだよ」 「陸上やってたんだ?高校でも陸上部に入るの?」 「うん。走るの好きなんだ」  またヒマワリみたいに笑う。ひまりって名前は彼女にピッタリだなと思った。  それから、学校のある日は毎日、朝のおはようから、とりとめのない話をひまりとした。会話の流れで連絡先も交換した。  毎日毎日ヒマワリのような笑顔を向けられ、夜に家に帰ってからもその笑顔がちらつく。交換した連絡先を用もないのに見つめてみたりする。  いつの間にか俺はひまりが好きになっていた。  梅雨が始まる前に1学期の最初の席替えがあった。ひまりと俺の席は離れて、もう隣で他愛のない話が出来なくなってしまった。  俺は告白を決意した。  放課後に呼び出した。ひまりのことを真っ直ぐ見据える。 「俺……隣の席じゃなくても、もっといっぱい折笠さんと話していたいって思っていて……」  こんなに心臓ってバクバクと音がするんだ。 「……好きです。俺と付き合って……欲しいです」  ひまりは驚いた顔して両手で口許を押さえた。 「わたしも藤堂くんともっと話していたかったんだ。ぜひ……お願いします」  いつもより、ちょっとはにかんだ笑顔で答えてくれた。ひまりの耳は真っ赤に染まっていた。  ひまりは陸上部で俺は弓道部。ふたりの部活がない日は一緒に帰った。俺は自転車通学だったから俺が自転車を押しながら歩いて、その隣をひまりが歩く。 「タクミは自転車で行ける距離でいいなー。朝練行く時にバスの本数少ないの気にしなくていいじゃん」 「でも最近暑いから学校に着く頃には汗だくだよ。あと雨降ったら結局バスだし」  なんでもない話しをしながら歩いて行く。初めはあんなにお互い恥ずかしかった名前呼びも慣れてきた。  学校から少し離れたら自転車で2人乗りをする。落ちないようにひまりが後ろから俺の腰に腕を回す。人に体を触られることに慣れてなくて少しだけくすぐったい。ひまりのやわらかさと体温を背中に感じる。せっけんみたいな優しい香りが鼻腔をくすぐる。  俺が部活がない日はたまに陸上部で練習しているひまりを覗いた。すらっとしているけど、筋肉がついた綺麗な足で走っていた。晴れた青空の日は「熱中症に注意しなよ」ってメッセージを送る。  テスト勉強期間はふたりで図書館やカフェに行って勉強をした。ひまりは数学や化学が得意で、俺は国語や英語が得意だったからお互い苦手なところを教えあった。 「花火大会?」  カフェで教え合いながら勉強をしているときにひまりから誘われた。 「そう!期末試験と補講が終わってから、終業式の前日にあるの。一緒に行きたいなって思って……」 ひまりが照れながら言う。 「いいよ。行こう」 「ホントに!?嬉しい。これでテストも頑張れる!じゃあさ、待ち合わせは駅ビルの前に集合ね」 「まだ期末試験も終わってないのに待ち合わせ場所?」 「具体的に想像できたほうが盛り上がれて勉強の気合いが入るんだ!」  ひまりがぱっと笑顔を咲かせる。  期末試験は2人とも赤点もなく終えられた。  花火大会当日。  花火大会の最寄り駅は家から電車に乗って三駅。待ち合わせ場所は駅から出てすぐの駅ビルの前。目印に待ち合わせの像がある。  早めに待ち合わせ場所に行こうと思ってたのに、電車に乗るときにスマホを忘れているのに気づいた。取りに帰り、電車が一本次のやつになってしまった。 「ごめん、待ち合わせギリギリになっちゃうかも」  メッセージを送る。 「大丈夫。焦らず来て」  返信が来る。  電車に乗ってから目的の駅に着く前に一応送っておく。 「時間ピッタリに着くよ」  返信が返ってこない。既読もつかない。 「見ていないのかな?」  待ち合わせの駅ビルの前に着くと、あたりがざわざわしていた。パトカーや救急車も見えた。  なんだ……? 「何かあったんですか?」  周りにいる人に声をかけてみた。 「バイクが突っ込んできて女の子を跳ねたみたいだよ。さっき救急車で運ばれて行ったけど」  女の子……。  その言葉で心臓の音がズクリっと跳ねる。  ひまりは……?  あたりを見回してもひまりの姿は見えない。スマホを見てもさっき送ったメッセージに既読がついていない。 「ひまり大丈夫?」  もう一度送ってみるが、それも既読がつかない。  まさか、運ばれたのは……ひまり?嘘だろ?  俺はどうしていいかわからなくてその場で立ち尽くしていた。その日、いくら待ってもひまりからの返信が来ることはなかった。  救急車で運ばれていったのはやっぱりひまりだった。  次の日に学校に行くと先生からひまりが事故にあったと聞かされた。俺は先生に病院を聞いて向かった。病院に着くとひまりのお父さんとお母さんがいた。 「命には別状はなかったんだけどね……」  お父さんがポツリポツリと絞り出すように言う。 「当たりどころが悪くて、脊髄が損傷してしまって……歩けなくなるかもしれないんだ」  目の前が真っ暗になった。ひまりの笑顔や陸上部で走っている姿が頭の中に駆け巡った。 「ごめんなさいっ。俺が待ち合わせ場所にもっと早く行けてたらっ……」  思わず涙が溢れ出る。鼻の奥がツーンとして涙と鼻水が混じってるような味がする。 「君のせいではないから。悪いのは事故を起こした奴なんだから」  お父さんはそう言ってくれたけど、でも俺がもっと早く行っていれば事故は防げたかも、ひまりが事故に遭わなかったかもしれない。なんであのときスマホを忘れてしまったんだ。  家に帰ってからも涙は止まらない。出しても出しても涙は止まってくれない。泣きすぎて、目は腫れぼったいし、鼻の奥もヒリヒリする。ずきずきと胸が痛い、苦しい。  後悔と自己嫌悪。夜になってベッドの上で横になっても寝つけない。 でも体は疲れているからか、いつの間にか気を失うように眠りについていた。  カーテンが開いた窓から射し込む光が眩しくて、目が覚める。 「うん……あれ?」  目が覚めて違和感を感じる。昨日、あんなに泣いて目も腫れていたのが嘘のようにすんなりと目が開いた。なぜだかあんなに苦しさを感じていた体も軽い。  寝て起きたから?そんなに寝たのか? 「今、何時だ?」  スマホで時間を確認する。時間は朝の7時。そんなに寝てた訳じゃなさそうだ。  でも、日付を見て驚く。  表示された日付は7月12日。 「嘘だ……」  花火大会の一週間前の日付がそこに表示されていた。  急いでリビングに行って母さんに聞く。 「今日は何日!?」 「何よ、そんなに焦って。今日は12日よ」  やっぱり花火大会の一週間前の日付だ。もしかして……時間が戻った?それとも今まで夢を見ていたのか?  よくわからない……。でも、どちらにしても花火大会の駅ビルの前の待ち合わせは止めよう。  俺はひまりにメッセージを送る。 『花火大会の日、待ち合わせ場所は歩道橋にしよう』  ひまりからはすぐに『うん、わかった』と返ってきた。  それから記憶と同じ、たまに違う出来事がありつつ、一週間が過ぎていった。そしてまた花火大会当日がやってきた。  でも大丈夫だ。だって待ち合わせ場所は変えたから、これでひまりは事故に遭わずに済むはずだ。 *** ……そう思っていたのにっ。 なのに……なんで。  走って駅ビルの前に行くと、もう事故は起きていて、どこを探してもひまりの姿はなかった。 「藤堂くんっ!」  名前を呼ばれて振り向くと同じクラスのひまりの友達の田中さんと山内さんがいた。前の時とちょっと違う出来事だ。ならもしかしたら……。 「俺、ひまりとここで待ち合わせていたんだけど見なかった!?」  田中さんが泣きそうな顔をして言う。 「多分、事故に遭ったのひまりだと思う……救急車で運ばれて行くのがチラッ見えたんだけど、さっき会ったひまりの浴衣の柄っぽかったの……」 「そんな……」  なんでだよ。それじゃ何も変わらないじゃないか。  田中さんが泣き始める。 「ひどい……ひまり、せっかく、藤堂くんのために用意していたのに……」 「なに?どういうこと?」  俺のため?何? 「ちょっと……っ!こんな時に言うことじゃないでしょ」  山内さんが止めようとするけど、俺はその先が気になる。 「いや、何のことか教えて」  ひまりがここに待ち合わせにした何か理由があったんだ。  田中さんが泣きながら説明してくれる。 「この駅ビルの中でラジオの公開収録があってね。好きな人へのメッセージを読んでもらうコーナーがあるの。ひまりはラジオに藤堂くんにあてたメッセージを送って採用されてたって。……今日そのメッセージが読まれる予定になってたから、それを聞いてから花火大会に行くんだって……」  知らなかった。そのラジオのために……俺のために、ひまりはここにいたんだ。きっと一度目の時もそうだったんだ。  ひまりの運ばれた病院は検討がついたけれど、今俺が行っても何も出来ないし迷惑をかけるだけかもしれないと明日を待った。  どうか、ひまりの状態が前と同じではありませんように……。  次の日になって学校に行く。一度目と同じように先生からひまりが事故に遭ったことを聞かされて、また俺は終業式の後にひまりのいる病院に行った。  ひまりのお父さんからは同じ話を聞かされる。ひまりが歩けなくなってしまうかもしれないと。  家に帰ってからベッドに倒れ込む。そのまま前と同じように泣き続ける。  二度目なのに俺はまたひまりを事故に遭わせてしまった。せっかく事故の前に戻ったのに。  じゃああの時、俺はどうしたらよかったんだ……?花火大会に行かない?待ち合わせをもっと早くにする?どうしたら……。  泣きながらまた気づかないうちに眠ってしまっていた。  はっと目が覚める。 「いつの間にか寝ちゃってたんだ……」  起きて違和感を感じる。  おかしい……。あんなに泣いて辛かったのに体が軽い。  この感覚は初めてじゃない。同じような状態を知っている。  もしかして……また、時間が戻っている?  俺はそうであってほしいと希望を胸にスマホを掴む。スマホの日付を見ると、4月……入学式があった日付だった。 「戻っているっ……!」  でも、なんでこんなに戻ってるんだ?今日はまだ、ひまりと出会う前の日付だ。 「あっ……」  俺はひとつの結論に辿り着く。 ━━ああ、そうか。俺らが付き合わなければ、あの事故は避けられるのか。  また時間が戻るとは限らない。だから次は絶対に失敗出来ない。  俺は心を決めた。  入学式が終わって、教室に案内され席についた。  俺が座る隣には、ひまりがいる。 まだ事故にあっていないひまりが。本当は見つめたいけれど、見ないようにする。  視界の端でひまりが消しゴムを落としたのが見えた。俺らが話すきっかけになった消しゴム。  俺はそれを見ないふりして拾わない。ずっと、前を向いて座っている。  それからは毎日必要最低限しかひまりと話さず、何事もないまま席替えが行われた。  ひまりとはその後も話すことはなかった。  そしてテストが終わって、あの花火大会の日が来る。  花火大会の夜。家の窓からは花火が見えもしないのに、空を見つめる。そして空に祈る。 ━━どうかひまりが事故に遭いませんように。  想いは届くのだろうか。  花火の次の日の終業式の朝。ソワソワして朝早くに学校に着いてしまった。ひまりは無事なのだろうか。  校門を入って直ぐにある花壇の前のベンチに座って、花壇に咲く向日葵の花を見ていた。真っ直ぐと太陽に向く向日葵。 「藤堂くん?」  聞き覚えのある声が俺を呼ぶ。俺は目を見開いて声のほうを向く。そこには、ひまりがいた。二本の足でそこに立っていた。綺麗なスラッとした足で歩くひまり。 ━━よかった。  ひまりの足が無事でちゃんと歩けていることに安堵して嬉しくて涙腺がゆるむ。涙がこぼれ落ちる。  それを見てひまりが慌てて駆け寄ってきた。 「大丈夫?どうしたの?」 「ごめん。大丈夫。コンタクトがずれたんだ」  俺の顔を覗き込むひまり。至近距離で目が合う。久しぶりに見るひまりの顔に俺は目が離せなくなる。  ひまりと見つめ合う。 ━━これって……もう一度ここからひまりと始めることが出来るのかな?  淡い期待が胸をよぎった、その瞬間。 「ひまりっ」  俺の後ろから男の声でひまりを呼ぶ声がした。 「陸斗」  男の名前を呼んでひまりが笑顔になる。その笑顔は俺がさんざん見てきたあのヒマワリのような笑顔だった。俺の横をすり抜けてそいつに向けられるあの笑顔。 ━━あぁ、なんだ。もう遅かったのか。  ひまりがこちらに向き直す。 「藤堂くん、わたし朝練が始まっちゃうから行くね。あまり痛いんだったらコンタクト早めに外したほうがいいよ。目が傷ついちゃうから。保健室に保存液とかあるみたいだよ」 「……ありがとう。折笠さん」  俺は精一杯微笑む。  俺の横をすり抜けて行くひまり。俺は振り返って、その後ろ姿を見送る。ヒマワリのような笑顔をする横顔が見える。  俺以外の奴に向ける笑顔を見て、一度目の世界をそのまま続けていたらひまりとずっと一緒にいられる未来もあったのかなって一瞬よぎった。 「いや、それはないな」  俺のちっぽけな失恋の痛みなんて大したことない。君が元気に走っている姿が見られる、それが一番だ。  隣にいなくても……君のヒマワリのような笑顔が俺に向いていなくても。  上を見上げると、春には桜が咲いていた木々は青々とした緑の葉を揺らし、夏が来たことを教えてくれていた。  もうすぐ三度目の高校一年の夏休みが始まる。俺だけが持っている君と隣り合った記憶。それを忘れることはない。
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