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「…何で来るんだよ」
完全な言いがかり、いちゃもんだった。
その駅前にはバスロータリーがあり、バスが2、3台停まっているわりに人はさほど多くなかった。中途半端な時間帯のせいかもしれない。周りには雑居ビルが立ち並んでいる。
ベンチには帽子をかぶったおじいちゃんが座っている。
そのとなりには行かず、俺は立ち木を囲うように付けられた銀色の手すり状の物に寄りかかっていた。
草薙は俺のとなりに来て、同じように手すりに軽く腰かけた。
穏やかな空気をまとい、学校にいるときと何ひとつ変わりない。今日もTシャツではなくボタンダウンの半袖シャツを着ている。
「…君だって来たくせに」
語尾が意地の悪いようでいて、実際はまったくそうは響かない。むしろ、からかっているのかと言うくらい楽しげに聞こえる。
「………………。」
俺は答えに詰まり、手に持っていた空き缶を近くのごみ箱に入れようと、一旦そこを離れる。
ほんの数秒のことなのに、背中にしっかりと視線を感じる。
何で。
何で、俺ばかりがどぎまぎしてるんだよ。不公平だ。
疑問は山ほどあって、だが聞けない。
草薙の方も、肝心なところは言わない。
お互い何も言わない。あるいは、言えないでいる。
「お腹は空いていない?」
「…ああ」
「おやつ買って行く?」
おやつ、だ?
「…どこに?」
遠足にでも連れて行くつもりかよ。
「約束を果たすことができる場所」
ぎくりと心臓が軋み、それから早鐘のように鳴り始める。
草薙の横顔は、太陽が射して頬がつややかに照って明るかった。鼻歌でもうたい出しそうなくらいの、自然体。少なくともそう見える。
「…暑いから飲み物を買って行こうね」
ついて歩く。駅の最寄りのコンビニに入る。
何が飲みたいか聞かれる。嶋田くんはこれが好きだったよね、と「スイートレモン」を棚から取った。水色の地に白いアルファベット。
俺、べつにそれ好きじゃないんだけど。
相変わらず行き先を言わない。駅を離れるとコインパーキングや店舗兼住宅があり、人通りはまばらだった。
路地に入る。
突き当たりに、同じ形の小さな窓がたくさん貼りついた高い建物がたっていた。
いわゆるビジネスホテルというやつだ。
草薙は立ち止まらないし俺を振り返りもせず、エントランスに入って行く。
え、と声を上げてしまう。
それからあわてて後を追う。
ごく控えめな音量でクラシック調のBGMが流れ、フロントにはスーツ姿の若い男。コーヒーの香りが漂っている。
522号室。
バスルームらしいスペースが扉のすぐ脇にあり、あとはテレビ、作り付けの机と椅子。
そのすぐ奥に、サイドテーブルをはさんで2台のベッド。
学校の沿線ではない離れた土地、俺の最寄り駅からは乗り換えを1回。
生々しい、実用的な逢い引きの場所。
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