学校では教えてくれないこと

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学校では教えてくれないこと

草薙は壁に向いた書き物机の上にカードキーを静かに置いた。 部屋の奥にすたすたと入って行く。 俺は扉を入ってすぐの場所で、動けない。 窓枠に手をつき、いい部屋だね、などと言う。俺はビジネスマンでもないからこういうところに来たことはないが、こんなよくある街なかにあって、特に良い部屋、良い風景だということはないだろう、と思った。 今日会ってからずっと、真意が読めない。言葉の意味は、わかっても。 約束を果たす。 そのとおりにするとはとても思えなかった。 だってそうだろ。 誰があんなのを律儀に守ろうとするっての。 「シャワーは家を出るとき浴びてきた。君はどうする?」 心臓でも腹でもない部分、あるいはその全部が、ごとりと音を立てて鉛に変わったみたいな感覚。息が苦しい。 そのくせ鼓動は今までに経験したことのないくらい、体育祭のリレーの直後よりずっと、速まる。 草薙は数歩、窓から離れると、シャツのボタンを外し始める。 目の前で、同性である年上の男が服を脱いでいるだけだ。 ただそれだけ。 そう自分に必死に言い聞かせる。 緊張して、手足の先が冷たい。うまく動かない。1ミリも動かせなさそうだ。 だが逆に、動いたらだめだとも、思う。 困らせたくない。傷つけたくない。 「こんな頼りない背中は、嫌?」 初めて俺の目に晒される、白い背中。 首から肩にかけて、骨張った線。まっすぐな背骨。 夏の午後の空気にあらわになる。 嫌じゃない。 指先だけでも触れてしまったなら、きっともうーーー。 気が付いたら、背中から腕を回して抱きしめていた。 そのまま覆いかぶさるようになって、窓側のベッドにもつれ込む。 「わっ」 悲鳴と言うには呑気な草薙の声が、確かに聞こえた。 学校で俺がくだらないいたずらをしたときみたいで、それは俺の胸をしめつける。 その場のノリでちょっかいを出していたような関係には、もう戻れない。 耳の下に唇を押し付ける。 「…嫌じゃない」 俺の、熱っぽい声。緊張して、少しふるえて。 なぜかまた、図書室の匂いがした。 逆だったのかもしれない。 草薙が俺の前に現れるまで、図書室なんか行こうと思わなかった。図書室にいるときは常にこの男といっしょだった。 だから、いつもそばにいる草薙の匂いが、俺にとって「図書室の匂い」になったのだ。 俺の力まかせに回した腕に、草薙が手を添える。 「…驚かせちゃったみたいだね」 またしても、状況にまるでそぐわない、なだめて落ち着かせるためみたいなささやき。 草薙は腹ばいの姿勢で器用に眼鏡を取る。 つるを折り畳み、よいしょ、と言って腕を伸ばしてサイドテーブルに置く。肩甲骨が浮き上がる。 俺の腕の下で体を半回転させる。 今日初めて正面から向き合う。 こんな体勢で。どことも知れぬベッドの上で。 ちっこいくせに、でかいなりをした俺をまっすぐ見る、黒い瞳。 曖昧じゃない、はっきりした熱が唇にこもる。 「…カーテンを閉めていい?」 唇に唇を重ねる直前。草薙はややまぶたを伏せて言った。 その望みはやけに現実的で、俺は照れ隠しみたいにぱっと立ち上がり、厚いカーテンを閉ざした。 その間草薙は、ベッドの中途半端な位置に仰向けになったまま、頭を少しもたげることもしなかった。投げ出された手も、動かさない。 ありがとう、と生真面目な調子で言った。
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