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言葉が途切れる。だが、気詰まりな沈黙ではない。
見なくても草薙がどんな表情をしているかわかりそうな気がした。何もかもが数分前とは、違う。
「嶋田くん」
「はい」
教室で、クラスメイトが周囲にいるときのような声で呼んだ。
よく通る、涼やかで堂々としていて、でも、圧はない。
だからつい、とっさに。
教室で呼びかけられたときの答え方をする。
過剰な親しみを気取られないための、よそいきの声で。
「来て」
「…どこに?」
これ以上どこに。
小さく手招きをする。
「何?」
肩と肩が触れ合う位置まで移動して腰かける。正確には草薙の肩と俺の二の腕が、だ。
叱られるのかなと思う。何をかはわからないが。
腕がつと伸びてくる。ぐいと引き寄せられ、頭をかき抱かれた。
衣服越しの部分と、そうでないむき出しの部分とで肌と肌があわさる。
まだ、ずいぶんと体温が高いのだとわかる。それから、心臓の音。
「君は1人じゃないから」
耳元でくっきりと明瞭に聞こえた。
また図書室の匂いがした。
「僕がそばにいるから」
俺の方からも腕を回してみる。
草薙の首に口元を押しつける。くっつけたかったからと言うよりは、ただそこにあったから。
舌と舌が触れるキスの方が、濃いのかもしれない。普通の奴ならそう思うのだろう。
でも。
俺にとってこの腕は、気持ちを確かめるという行為だった。
単純な、でも、今までにしたことがない。
薄い背中。強く抱いたら壊れそうな骨組み。
「義務とかじゃなくて…。僕がそうしたいから」
髪を撫でる手は優しくて、でも、軽くない。
こんな抱き方もできるのだ、と思う。
思いがまた積み増されそうになる。
「…うん。わかった」
やけに平坦な答えになってしまう。まるで何も感じていないかのような。
そうじゃないのに。まるきり、そうではないのに。
すぐそこにある、白い頬。
俺も先生のそばにいたいよ。
「先生」
「何?」
「…しばらく、このままでいていい?」
「いいよ」
いつまででも、と付け加えて俺をあっさりと甘やかす。
「…先生」
「ん?」
「…じゃあさ、嫌じゃなかったってこと? …俺と、するの」
「………うん。全然嫌では、」
咳払いを差し挟んだ。
「嫌ではなかった」
というより、と言ってもう一度咳払いをした。喉が乾燥したせいではなさそうだ。
ためらいながら話し始めた。
「君に向けた僕の気持ちは、本当はいけないことだってわかってた。伝える勇気もなかった」
いや、と言って一度目を閉じた。それからゆっくりと開く。
「それは嘘だ。伝えるつもりは、なかった。僕だけの秘密にしたまま君が無事に卒業できればいい。そう思っていた」
ひっかぶったシーツはもうかろうじて腕に掛かっているだけで、ずり落ちそうだった。
「でも…一度だけ。学校でも僕の家でもない、どこでもない場所でなら許されるかなって…。君に触れたかった」
温かく湿った、先生の内部。
その感覚が唐突によみがえる。欲望をそそるだけじゃない、安心して、心地良い場所。
「先生」
「何?」
「もういっかい、したい」
ゆっくりと瞬きをした。
「…少し休んだら?」
首を横に振る。
草薙はくすくす笑う。俺の腕の中で。
さっきわからなかったことを、確かめたい。
俺は図書室の匂いのする白い肌に、唇をそうっと寄せる。
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