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…君がいなくなった校舎に慣れなきゃって思いながら、毎日過ごしてる。
あったかくてちょっと熱くて、どこに耳をくっつけても心臓の音が伝わってくる、先生の裸。
唐突に思い出す。
ここで話をしたな、とか、君があんな顔をしていたなって、思い出すたびに…何度も仕事が手につかなくなりそうになった。僕は教師失格だよ。
声の調子は変わらない、むしろ明るいまま、そう言う。
でも、俺はスマホを耳に当てたまま、家族を見遣る。
押さえつけられて、まだ生え揃っていない髪の毛を拭われている弟。髪にも納豆が付着したのだろうか。
立ち上がってリビングを出る。
リビングの扉をてのひらで押して、なぜだかそっと閉める。
階段を上る。
自室の扉を後ろ手でまた、音の立たないように静かに閉める。
電話の向こうの何ひとつ、聞きこぼさないように。
見えるはずないのに、なぜだか草薙は俺が移動する間じゅう黙っていた。
ねえ…しゃべれよ。
…嫌だ。
…何だよ。
自分の声が拗ねているように聞こえる。
僕は今自己嫌悪に陥っているんだから。
…じこけんお?
ごめんね、困らせて。君がせっかく大学生になったのに、こんな世迷い事を話して。
…俺も先生のこと考えてた。
べつに困ってはいない。
…ほんとに?
信じていなさそうな、笑みを含んだ声だった。
うん、と答えた。
先生のこと想像しながら抜いたもん。何十回も。
………!
絶句。
今度はただ単に黙ったのではなく、動揺している。
きっと、体をぎゅっと縮めて赤面している。
なんじゅっかいも。端的な事実だ。
そ、そういうんじゃ、なくてっ、
そういうことだ、俺にとっては。
ふにゃふにゃになって、もう、新入生の希望にみちあふれた作文なんて通読できなくなっているに違いない。
肩をつかむ。力を入れ過ぎると怖がるから、そうっとつかまないといけない。
だが力を入れても入れなくてもきっと、体をぴくりとふるわせる。
首。耳のすぐ下にくちづけしたい。
唇が少し乾燥しているのがばれるかもしれない。そうしたら、疲れているんじゃないのと心配するだろう。
目をそらしてうつむいてしまう。すると、耳と白い項と鎖骨が余計にあらわになると、あの男は知っているのだろうか?
…先生。
…な…何?
小さく湿り気をおびた声。
…勃った。
………もう…ばかっ。
だって先生がえろいから。
俺の記憶の中で。いつも。
…あいたい。
触りたい。話したい。話をして、黒い瞳がいきいきと輝くのが見たい。
俺のすることで肌がぼっと染まったり、しっとりと見えないくらいの汗をかくのをもっと知りたい。
…会いたいね。
しみじみと長く尾を引く溜め息のように、草薙は同意する。
今週の土日は、どう?
…いいよ、いつでも。
本当にいつでも良かった。たとえ数時間でも。
どこか行きたい場所はある?
しばらく黙る。
先生んち、行ってみたい。
いいよ。
草薙は春休み中に引っ越しをしていた。
前住んでいた寮の二駅となり、駅からはやや歩くそうだ。
…先生。なんかしゃべってて。
………なぜ?
その声でヌくから。
………やめて…。
さっきよりもっと小さな声だったので、自分で言ったことが冗談なのか本気なのかわからなくなる。
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