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(それにしてもわかりやすい)
この三人だけの手記ではなく、歴代の管理者のものもあるのだろうが、棚にある書類はどれも見た者がすぐ理解できるようにまとめてある。
それに比べ、ラザフォードの父の書棚はひどいものだった。
どこになにがあるのかさえ自分では把握しておらず、最近ではすべてアーヴィング任せ。兄ヴィンセントは手伝いもしない。
(俺が家を出たらどうするつもりなんだろう)
いやしかしそれはアーヴィングの知ったことではない。あの家に未練などなにもない。
自分はもうアナスタシアと生きて行くと決めたのだ。
「少し出てくる」
昼食にはまだ少し早い時間、そう言ってゴドウィンは席を立ち、そそくさと部屋を出て行った。
「ゴドウィン殿はどちらへ……?」
気になったアーヴィングは、コーディとバイロンに聞いてみた。
「それが……今朝も私たちより早くいらしていて、なにやら書棚をいじってらっしゃったんですよね……まあ、領内で問題が起きたとかそういうことではなさそうなので、気にしなくても大丈夫だと思いますよ」
ゴドウィンが職務規範内で単独行動をするのはたまにあることなのか、教えてくれたコーディからは別段気にした様子は見受けられない。
アーヴィングも再び視線を書類に戻した。
*
部屋をでたゴドウィンは厨房に向かって疾走していた。
なぜ贅肉を揺らし、必死で走るのか。
それはアーヴィングに食べさせるための夜のデザートの仕込みをするためだ。
「料理長!用意はできてるか!?」
「はいはい、できてますよ」
厨房に入るなり叫んだゴドウィン。
若干呆れ顔の料理長が指し示した調理台の上には、卵に砂糖に牛乳、そして生クリームにチョコレートに洋酒といった材料がところ狭しと並べられていた。
「よし!」
素早く材料のチェックを終えたゴドウィンは、鮮やかな花柄のハンカチーフで頭髪を包み、お揃いの花柄エプロンの紐をしっかりと腰で結び、戦闘態勢に入った。
「おやおやまあ……職権乱用もここまでくるとお見事ですねえ、ゴドウィン?」
調理場に顔を見せたジェフも、料理長同様に呆れた声をかけた。
「うるさいジェフ!そういえばお前、今朝のはどうだった!?」
「はて?“今朝の”とはなんでしょう」
「とぼけるんじゃない!!私特製“シロップに浮かぶ夏のパラダイス”だっっ!!」
微妙すぎるネーミングが飛び出すと、料理長が口元を手で覆い隠し震え始めた。
「ええ、ええ。あれのことでしたか。アーヴィング殿は大変美味しそうに召し上がってらっしゃいましたよ」
「そうか!お前、言ってないだろうな!?」
「“あなたが食べてるのは四十過ぎの脂ぎったおっさんが作った物ですよ”だなんて誰が言えますか。あなたも本当にひねくれてますねえ。彼を労ってやりたいのなら、素直にそう伝えてやればいいじゃないですか」
「あんな意地悪しちゃったのに言える訳ないじゃないの!!……って違う!!言える訳ないだろうが!!」
いやもうそんな無理しておっさん言葉使わなくても……とでも言いたげに、ジェフと料理長は薄目で微笑む。
「今夜アーヴィング殿は殿下と夕食を食べるのか!?」
「いいえ。殿下はお部屋でとられると聞いております」
「別?別なんだな?よしっっ!」
そして厨房からは、ガッションガッションと、泡立て器とボウルのぶつかり合う音が響き始めた。
*
「そろそろ終わりにしましょうか」
夏の太陽はまだまだ明るく外を照らしていたが、終業時刻だった。
「アーヴィング殿はどうされますか?」
「お……いえ、私はもう少し残っていますので、皆さん遠慮せずあがってください」
この二日間でアーヴィングがどれだけ努力家か、コーディとバイロンにも伝わっていた。
二人はやれやれと困ったように顔を見合わせて笑う。
「では遠慮なく。ですがアーヴィング殿、くれぐれも無理は禁物ですよ」
「は、はい!ありがとうございます」
アーヴィングの謙虚な姿勢に、ゴドウィンは無関心を装いながら激しく拍手をしていた。
(いい子……いい子だわぁ……)
昼休憩もろくにとらず頑張った甲斐がある。
ゴドウィンは感無量だった。
「若いうちは体力だけが取り柄ですからな。しかしアーヴィング殿のように食が細くてはそれもどうかな?」
(訳)倒れたら終わりだからね。デザートまでしっかり食べるのよ
「は、はい……あの、ゴドウィ」
「もう終わったかしら?」
「殿下!?」
扉の向こうからひょっこりと顔を出したアナスタシアに、全員が声を揃えた。
「殿下、どうされたんですか?」
アーヴィングが駆け寄ると、アナスタシアは少しだけはにかんだように笑う。
「アーヴィングがよければ、一緒にお夕食をどうかと思って」
(────────イカン!!)
しかしゴドウィンの心の叫びなど若い二人には聞こえるはずもない。
「ご一緒してもいいんですか?」
「ええ。今からジェフに言って、アーヴィングの分も部屋に運ばせるわね」
“待ってるわ”
そう言い残してアナスタシアは戻っていったのだった。
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