輪廻Ⅱ『口下手』

3/13
前へ
/13ページ
次へ
 昨夜の上りはやくざからの一万だけだった。善は来年取り壊しになる市営住宅の二階に一人で暮らしている。間取りは2DKだが古い造りで狭い。天井も低い。25年前に新婚で借りたアパートで妻に先立たれて20年間独り暮らしである。たった5年間が夫婦だった。机の上を仏壇代わりにしている。埋葬していない妻の骨箱がそのまま置いてある。おりんを二回たたいた。手を合わせ声を掛ける。 『なんで死んじまったんだ。どうしてお前なんだ』いつも愚痴のような祈りを捧げる。ドアベルが鳴る。覗き穴の向こうに昨夜のやくざが立っていた。ドアを開ける。 「悪いね、押し掛けたりして。もう一度あんたの歌を聞きたくてな、樹里ママに聞いて訪ねてしまった」 「まあ、どうぞ」  善はやくざを家に上げた。善はギターを抱いて準備した。 「善さんて言ったね。みんなあんたが口下手で愛想が悪いと噂しているが俺はそう言う男が好きだ。それに聴かせて欲しいのは俺じゃなくて甲府のおふくろになんだ。これ300ある」  やくざは封筒を出した。 「半分はあんたの興行代、残りの半分をおふくろに渡してやって欲しい。それでおふくろが好きだったサーカスの歌を聴かせてやっちゃくれないかな」 「ご自分で渡せばいいのに」 「それがさ、渡世の義理っちゃ古いがこれからその義理を果たしに行くんだ。運よく帰って来れりゃいいがそう悪運も付いて回ることはないだろう。たった二曲の付き合いであんたに頼めた義理じゃないが、本物の歌をおふくろに聴かせてやりたくね」  やくざは煙草を咥えた。手が震えている。カッコつけているがこれから始まる何かに怯えているのだろうと善は思った。 「分かりました」  紙とペンを出して、やくざの住所氏名を書いた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加