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「つらい、って言ったもの勝ちだよね」
こたつの上でチーズケーキを頬張りながら、妹のチヒロはそうぼやいた。
高校の課題を進めていたイツキは、手を止めてチヒロの方をちらりと見る。
「つらい!って言えば、周りの人が気遣ってくれるじゃん。我慢している方がバカみたい」
チーズケーキを食べ進めるチヒロ。ちょっと怒っているみたいだ。中学で何かあったのだろうか。
「同じくらい辛くて我慢している人は無視されてさ」
「何かあったの」
膨大な量に膨らんだ高校の課題を横に置き、斜めに座るチヒロにイツキは話しかけた。
「友達のエリがさ、文化祭の準備をしたくない、ってわがまま言うの」
こたつの中で足を組み替えながら、チヒロは話を続ける。
「私達のクラスは、お化け屋敷を文化祭でやろうって決めたんだけど、エリは怖いって言って手伝わないの。でもクラスの皆が準備してるし、エリだけ手伝わないのは駄目だよって話したら、エリと喧嘩になっちゃって…」
チヒロはイツキの方を見ずに、食べかけのチーズケーキを見つめている。
「やっぱり、辛いときは辛いって言うことが大事なのかな。どう思う?」
イツキは少しだけたじろいた。なんて返せばよいか分からなかったからだ。
「私もエリもお化けを作る係じゃなくて、部屋を装飾する係だからそこまで怖くないのにね」
答えに窮するイツキに気づいたのか、チヒロは話を続ける。
「でもエリって、装飾作るの凄い上手なの。カーテンに貼り付ける”呪いの札”もかっこいいの。壁に貼り付ける用の少し怖めの”ゾンビのお面”も細かいところまで拘ってて凄いの。途中まであんなに張り切ってたのに、なんで嫌になっちゃったんだろう」
意外にも、チヒロはそこまで怒ってないようだった。
エリの装飾を褒めているときの方が生き生きとしている。
「なんでだろう」
「わかんない。でも辛いときに辛い、っていった方が得なのかな~と思って話した」
文句を一通り言って満足したのか残りのチーズケーキを食べだしたチヒロ。
そんなチヒロを一瞥して、イツキは課題に目を戻した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コタツの中が熱くなりすぎたので、そろそろ電源を切ろうかな、とイツキがぼんやりと考えていると、チヒロが「何の課題しているの。お兄ちゃん」と話しかけてきた。
「理科の課題」
「どんな課題?」
「今やってるのは、宇宙についての課題」
「宇宙!?」
目をキラキラさせながら、チヒロがパソコンを覗き込んできた。
パソコンには、ハッブル宇宙望遠鏡で撮影した銀河の写真がズラリと並んでいる。
綺麗…とチヒロがつぶやく。
確かに多彩な光をまとう銀河はとても綺麗で、こんな綺麗なものが墨で塗り潰したような宇宙空間に存在していることは実に不思議だった。
「宇宙ってこんなに綺麗なんだね…いつか本物を見てみたいな」
チヒロは写真から目を離すことなく、そう呟いた。
「そういえば随分前の授業で習ったんだけど、銀河ってこんなに綺麗じゃないらしいよ」
「え!なんで?」
「なんでだったけ…随分前で忘れちゃった」
イツキは銀河について検索を始めた。
検索結果の一番上に、宇宙観測関連の研究を進める女性研究者へのインタビュー記事が表示された。イツキはその記事を開き、内容に目を通した。
「写真集に載るような綺麗な銀河って、実際に目では見えないみたい。紫外線とかX線とか目に見えない光に研究者さん達が色を割り当ててるらしいよ。例えば、黒い球体の周辺にオレンジ色の光が浮かんでいるイメージのブラックホールも研究者さんが色を決めたみたいだよ」
「えー」
「つまり望遠鏡を通して、宇宙の色を実際に見たわけではなくて、電波の強い所はこの色、弱い所はその色、みたいに研究者さん達が決めていったみたいだね」
なんだか不服そうなチヒロを後目に、イツキは記事を読み進めていく。
「”宇宙の本当の色は、誰にも見えない。だからこそ、人によって見え方・捉え方が違って良い。紫色でも赤色でも、虹色でも無色透明でも、宇宙は自分が好きなように染めて良い布みたいなものなんです。”だってさ」
記事の内容を噛み砕いて自分の言葉で話すことが妙に恥ずかしく、イツキはインタビュー記事をそのまま音読してチヒロに伝えた。
「”宇宙を観察する時、どの見え方が正しくて、どの見え方が間違っている、という考え方はありません。人それぞれの見方ができるというのも、宇宙観測の魅力の一つかもしれませんね”」
「へえ…面白いね」
そんなイツキの心をつゆ知らず、チヒロは色とりどりの銀河の写真をいつになく真剣に眺めていた。
何分かそうしていた後、もしかしてさ、とチヒロは口を開いた。
「もしかしたら、見え方が違ったのかな」
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チヒロがイツキのパソコンを使っていたため、パソコンを使う必要がない課題を進めていたイツキの手が止まった。
「もしかしたら、エリにとってお化けって凄い怖いものだったのかも」
銀河の写真から目を離すことなく、チヒロはポツと喋り始めた。
「でもエリちゃんは途中まで装飾を作れたんでしょ。ゾンビのお面も楽しく作ってたって言ってたじゃん」
「そうだけど、本当はすごい嫌だったんじゃないかな。そこまで嫌だと思ってなかった…」
なのにエリにひどいこと言っちゃったかも、とチヒロは顔を曇らせる。
チヒロの話を黙って聞いた後、イツキは一つの可能性を思いついて尋ねてみた。
「お化け屋敷って、もうすぐ完成するの?」
「そうだよ、あと2日で本番だから完成間近。今日の午前は学校休みで、13時から登校する。だからこんな平日の昼にいるの」
「そうだよね。こんな時間にチヒロがいるの珍しいと思った」
「こんな時間まで家にいることは滅多にないよ~」
確かに、と思いながらイツキはコタツの上にあるお茶を口に運んだ。
「完成間近なのがどうしたの?」
「さっき”呪いのお札”の話で、カーテンの話も出てきたと思うんだけど、カーテンって光が入らないようにするためだろ?お化け屋敷って結構暗くするし」
「うん。窓にダンボールも貼ってるし、結構暗いよ」
「もしかしてさ、エリちゃんが怖がってるのって、”お化け”じゃなくて”暗さ”なんじゃないかな?」
「”暗さ”?」
「そう、世の中には暗い場所や夜だと何も見えない人がいる。夜盲症っていうんだけどね。夜盲症とまでいかなくても、エリちゃんも”暗い”のがとても苦手なのかもしれない」
チヒロはハッとした表情を浮かべ、早口で話始めた。
「そうかも。お化け屋敷の暗さを確かめるために、一度電気を消した後に怖いって言ってたし」
「分からないけどね。本当はお化けが凄い怖かったけど今まで頑張って装飾を作っていたのかもしれない」
「どうだろ」
「分からない。でも聞いてみたら?」
確かに私、あまりエリの話聞いてあげられなかった気がする、と呟くチヒロ。
数秒程度、チヒロは銀河の写真を眺めた後、自分の物でもないのにパソコンをパタンと閉じ、コタツから抜けた。
「ありがと、お兄ちゃん。エリに話を聞いてみる」
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学校の準備をしなきゃ、とチヒロはパタパタと準備をし始めた。溜まった課題を片付けるため、イツキはパソコンを開きながら、残っていたチーズケーキに手を付けた。
すると、ひょこっとチヒロが部屋に戻ってきた。
「でもね、やっぱりエリも悪いと思うの」
「見え方が違うなら、違うって伝えることも大事だと思う。実際、周りにも伝えてなかったみたいだし。なんで”怖い”のか、エリの口から伝えてほしかった」
そう真剣な顔でコチラをみる。
「そうしないと、見え方は伝わらないよ。辛いなら辛いって言わないと」
「一番始めにチヒロが言っていたことが違うな」
「そう?」
いや、とイツキは思った。そして、ゆっくりと口を開いた。
「気遣ってくれたんだろ?」
イツキの問いかけに対し、チヒロは珍しく黙った。
「俺が最近、学校に行けてないから気を使ってくれたんだよな。ありがとう」
チヒロはイツキを見つめる。
「辛いときは辛い、って伝えたほうが良いよって教えてくれようとしたんだろ?」
「お兄ちゃんはすぐ言いたいことを我慢するからね」
「そうかな」
「そうだよ。辛いって言ったもの勝ちだよ。この世界。チヒロもすぐ言うもん」
世界というスケールの大きさにイツキは少し笑ってしまった。
「そうだね。周りに頼るのも恥ずかしくて、結局学校に行けなくなっちゃった」
イツキはバツが悪そうな顔で、そう呟く。
「せめて、家族くらいは頼りなね。何があったのかは知らないけどさ。言わなきゃ伝わらないこともあると思うよ。見え方が違うんだから」
少し照れたようにチヒロが自分の髪の毛を触る。
「ありがとう」
繰り返しイツキはチヒロに感謝の気持ちを伝える。
素直に、ありがとうと言うのも久々だな、なんて考えていた。
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学校に遅れちゃう、とチヒロはパタパタと準備を済ませ、「いってきまーす!」という元気な声を残し、家を出ていった。
その音を聞きながら、銀河の写真をチラッと見つめた。
数秒間、銀河の光り輝く写真を見つめた後、イツキはパソコンを閉じコタツを抜け出した。
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