シャッター通りのバンクシー

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 時刻は、すでに5時に近かった。  透明なアクリル板のアーチ天井から見上げる夜空の(むらさき)も、やや白っぽく薄れはじめてきている。  警部は、下絵(したえ)の描かれたプリント用紙を、(くだん)の画材店のシャッター前にかざし、かわるがわる見比べた。  下絵(したえ)には、キャッチーなイラストとポップな文字が色鮮やかに踊っている。  かたや、サビついたシャッターは、一面にくすんだ灰色で味気(あじけ)ない。ただ1か所、横書きの血文字が上の方にあるだけだ。  被害者が最期の力をふりしぼって死に物狂いで書き遺した、人の名前。被害者が謎の覆面画家(ふくめんがか)の正体であることを知るほどに仲が良かった、被害者の親友の名前。  ふいに、警部は、その名前の女性を振り返った。 「アナタと被害者が特許(とっきょ)をとった塗料ってのは、実際、どんなスゴいシロモノなんです?」  女性は、元カレの男とニラミあったまま、トゲを隠せぬ声で答えた。 「"時限性(じげんせい)発色(はっしょく)する"塗料……つまり、塗ってから一定の時間がたたないと発色(はっしょく)しない、"タイマー機能"を持たせた塗料です」 「やっぱり!」  警部は会心(かいしん)の笑みをもらし、 「その塗料は、決められた時間になるまでは、無色透明で目に見えないってことですね?」 「はい。"塗料A"に"薄め液B"を混ぜ合わせることで、タイマー機能が働きだすシカケです。A液とB液、いずれも単体では無色透明です」 「けど、目に見えない透明な絵の具じゃ、まともに絵を描くことだって、できないじゃないんすか?」  と、若い刑事が口をはさむ。  女性は、白い手を(ふる)わせながらも、気丈(きじょう)に遺体の顔を指さすと、 「裸眼(らがん)では無色透明にしか見えませんが、あの特別な眼鏡(ゴーグル)を通して見れば、塗料の色がハッキリ見えるんです」  まさに、その瞬間。遺体の周囲の路面が、色とりどりのパステルカラーに染まったのだ。絵の具を一気にブチまけたかのように。  事実、それは、遺体の周囲に転がった空き缶の中から散乱していた塗料に、相違(そうい)なかった。  "タイマー機能"を持った塗料が、一定の時間を()て、今いっせいに発色(はっしょく)しはじめたのだ。 「参考人として呼ばれるまで、この商店街を訪れたことは一度もないと言ってましたよね、アナタ?」  若い刑事が、青年の背中に向かって唐突(とうとつ)に聞いた。  青年は、規制テープの向こうに好奇心の目を奪われながら、上の空(うわのそら)で問い返す。 「ええ。それが何か?」 「だったら、なんで、アンタのシャツに緑色の塗料がくっついてんです?」 「は? そんなバカな……」  青年は、前後左右に首をひねって自分の上体をアタフタ見わたすや、じきにガックリと肩を落とした。  白っぽいシャツの左の腰のあたりに、直径20センチほどの濃い緑色の"×"印が、クッキリと浮かびあがっていたのだ。  抵抗する間もなく突然の凶行に襲われつつも、被害者は、右手に持っていた絵筆を必死にふるい、加害者の衣服に目に見えないダイイングメッセージを書き遺していたのだった。 「あああああああああ……っ」  一方の女性は、店のシャッターを見ているうちに、こらえきれない悲嘆(ひたん)の声をあげながら、くたくたと膝から地面に(くず)れおちた。  古ぼけた灰色のシャッターは一転し、下絵(したえ)どおりのカラフルな図案で一面に染めつくされている。  ただ1か所、下絵(したえ)と異なるのは、上のほうにある「I LOVE ART」という文字の「ART」の部分が、女性の名前で赤く上書(うわが)きされていることだけだった。  オワリ
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