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「夜明け前?」
オウム返しに警部は問い返した。いささか引っかかる言いまわしに思えたのだ。
若い刑事は、したりげな上目づかいに、
「"シャッター通りのバンクシー"の絵は、夜明け前に突如として現れるんですよ」
「は?」
「とある東北の漁港の商店街を、スーパーカブに乗った新聞配達員の男が通り過ぎたんですって。深夜4時頃。当然、シャッターは全部閉まっていたし、猫の子1匹見かけなかった」
「…………」
「それから、ほんの小1時間。周辺の契約世帯の新聞を配達し終わった彼が、かえりに商店街をまた通り過ぎようとしたら、1軒の店のシャッターに、港の灯台の景色を描いたポップアートがドーンと。いきなり浮き出てたんだそうです」
「浮き出てた、だぁ?」
「マジで。他の商店街のケースも同様なんですってば。明け方近く、たまたま商店街を通りがかった人は、モレなく。ほんの少し目を離したスキに、いきなり絵がシャッターに現れた、って。口をそろえて証言してるんですよ」
若い刑事は、黒目がちの丸い目を場違いにキラキラさせた。
サンタクロースに心酔する無邪気な子供そのものの部下の表情に閉口した警部は、ゲフンゲフンとセキばらいして、
「そんなことより、オマエ。この状況どう見る?」
脚立と一緒に高所から地面に転倒したとおぼしき、アオムケの遺体。
目元には暗視ゴーグルらしきメガネ。首の前方には、深々と突き刺さったドライバー。
奇妙な角度でのけぞったノド元は、照明の加減もあってか、ひたすらに青白く、ほとんど出血は見えない。
だが、ノドの内側から気管を通って逆流したのであろう血液が、ポッカリ開いた口の中から吐き出され、細いアゴの周辺まで真っ赤に染めて、キメ細かい肌に乾ききった輪郭をこびりつかせている。
「被害者が脚立の上に立って、目的の店のシャッターを下見してた最中、忍び寄った犯人が脚立を押し倒すと、路上にアオムケに倒れた被害者の上に馬乗りになり、手近に落ちてたドライバーを拾い上げざま、先端をノドにグサリ……ってトコじゃないでしょうか?」
と、若い刑事は、首をひねりながら言った。
警部は、節くれだった大きな手を片方ゆっくり上げると、遺体を指さした。
「気にならないか、それ。被害者の右手」
「え?」
若い刑事は、ここではじめて遺体が握りしめている絵筆に気付いた。
「あれ? 筆先に、赤い絵の具がベッタリくっついて……。おかしいなぁ、どの空き缶にも、赤い塗料が入ってた形跡はないのに」
警部は、やれやれとタメ息をもらした。
「脚立も、ちゃんと見てみろや」
「あ、……踏み板に、血痕が付着してます!」
「ってコトは?」
「まさか……被害者は、ノドにドライバーを刺された後に、脚立にのぼった……ってコトですか? でも、なんのために」
「そりゃ、オマエ。"ダイイングメッセージ"とかいう、アレだろ」
警部は、拍子抜けするほどアッサリ答えると、遺体のすぐ前方の店舗のシャッターに顔を向けた。
若い刑事がつられて目線を向ければ、鑑識が気を効かせて照明を浴びせる。
年季の入った灰色のシャッター上部の右よりに、ひどく乱れた赤い大きな文字が横殴りに書きつけられているのが、鮮明に見てとれた。それが、"人の名前"を表しているであろうことも。
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