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第二章
「おかえり、えんちゃん。今日は何か食べたいものある?」
家に帰ると、洗い終わった洗濯物を片腕に抱えた笹川さんがいた。やせ細った体がコンプレックスらしくいつもサイズの合わないXLのシャツをきている笹川さんは、そちらの方が背骨の出っ張りが浮き出して見える。
「サラダ。でも食べ応えも欲しい」
入った勢いのまま、踵に足をそえて靴を脱ぎリビングへ。笹川さんは苦笑いをしながら私のあとに続いた。
「唐揚げサラダはどう?」
「のった」
三日間も私の家を空けていた笹川さんは、昨日までの私の生活の痕跡をすべてゴミ袋に放り込んで、玄関にぽつんと放置させていた。三角座りをさせるように。反省させるように。
笹川さんは私の一つ上の先輩で、今は就職浪人をしている。昨日までは東京へ説明会を受けに行っていた。彼が戻ると、部屋がいきいきと光りだす。フローリングはきれいに磨かれ、壁紙に飛び散った醤油やミートソースのシミも拭い去られる。シンクに水垢ひとつ残っていないそのキッチンで、献立が立てられ、煮られ、焼かれ、洗われる。
「えんちゃん、バイト終わりで疲れてるところ申し訳ないんだけど、そこのゴミ袋、捨ててきてくれない?」
彼が私の部屋にいるときは、簡単な雑用はすべて私がやるという契約だ。私は、家族の正しい在り方を知らない。彼が呼吸するようにこの部屋で暮らすのを感じながら、私は仕組みやルールを吸収する。
リュックをベッドの上に放り投げる。背中の方で、パン、とタオルをしわ伸ばしする音が聞こえる。私はゴミ袋をひっつかみ、玄関を出た。駐車場横のゴミ捨て場へ放り投げる。
薪にくべる方がマシよなんて、そんなの嘘だ。阿左美さんの瞳の奥は、ぎらぎらと燃えている。彼女の火は消えていない。それに薪だなんて、お上品だ。私の中で、体を動かす原動力になることはいつも、こんな風にごみを投げ込むイメージだ。黒煙がごうごうと吐き出されるような。
――お前は不幸だよな。俺の子供に産まれて。
私の出生からのすべてを不幸でひとくくりにした父が。
――お前の不幸自慢には飽き飽きなんだよ。
不幸を自慢するなと言い放ったことが、私の腹の底をいつも締め付ける。ゴミ捨て場でしんと突っ立っていると、笹川さんが迎えに来た。
「ごみ捨てにいつまでかかってるの。買出し、一緒に行く?」
「行く」
笹川さんが私の手を握る。彼が私を姫と呼んだから、私はきっと姫になった。私たちはキスをしたこともない。今後、する予定もない。
私たちの生活は、一日ごとに充電が切れるかのように薄情だ。そして、こんな生活が肥大化したものがどこまでも続いていくことが笹川さんの幸せで、私は彼が舗装していく道をただ優雅に歩くのだろう。
彼は私とプラトニックな関係を築くことが本当の愛だと信じながら、私もそう感じるようにしていくことが愛だと信じながら、私と半同棲している。
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