役者①

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役者①

大手小包配送業者の勤務はシフト制の週休二日。平日にも休みがある。 今日は家で俺だけが休み。 9月。気持ちいい秋晴れだが、休みの日はあまり外に出ないことにしている。外で愉快なものに出会えるとは、とても思えない。 配達員の制服を着ている時以外は、外に出たくない。免罪符がない。 俺が住んでいるのは、二階建ての築45年の借家。ここに親子3人で住んでいる。今日、妻はパート。スーパーでレジを打っている。娘のまりもは、中学一年生。学校だ。 娘と妻が出かけた後、台所の洗い物を済ませた俺は、一人居間の椅子に座り、こないだ現れた刑事の俺が言ったことを考えていた。 凶相か。 そういえばこんなことがあった。 親父はもう亡くなってたな。 弟は、独立して家を出ていた。 20代のその日、俺は、アルバイトをしながら実家に住んでいた。 実家に住んでいたのは、母と俺だけ。 夕飯済ませて、デザートが欲しかった。確か、リンゴが台所にあった。 「食べる?リンゴ。俺、剥くけど」 「あ。やるよ」 「いいよ。剥く」 母は、居間のテーブルの前で座椅子に座っていた。 俺は立って、台所からリンゴと包丁を持ってきたのだ。 ただそれだけのこと。でも。 台所から包丁を持ってきた俺の顔を見て、母が一瞬恐怖の目で身構えたのに気づいたのだ。 え? 馬鹿な。 ありえねえじゃんか。 親殺しって、そんな。 俺は平静を装い、リンゴを剥いた。勿論、気持ちは動揺している。 親にも恐れられる顔って、どうなのよ? さすがにこれは、充分心にこたえた。 だから、今の今まで、しょっちゅう思い出す。何度も、何度も。 そんなことを考えていると、居間に置いてある娘の電子ピアノの前の空間に縦に裂け目が入ったのだ。 お。来るんだな。 思っていると、裂け目をくぐってもじゃもじゃの髪の毛の男が現れた。 くしゃくしゃの白いトレーナーに、いかにも安物のストーンウォッシュのジーパン。 「や」 「はい。やっぱ。俺?」 「そ。そ。俺。小川千尋だよ」 「いらっしゃい」 「どうもどうも。いや、随分しんどい独白で」 「ああ。ごめんね」 「気にしない気にしない。俺なんだし。そんなことあったんだ」 「ああ。しんどかった」 今回現れた俺は、随分、なんていうか、軽い。 でも、やっぱ、凶相。俺は彼に正面の椅子をすすめた。 「ありがとう。じゃ、失礼して座るね」 「あのさ。俺がなれなかった、じゃない。俺がならなかった俺だよね」 「そそ」 「何してるの?今」 「僕ね。役者だよ」 「マジ?」 「マジ」 「俺が役者?運動神経悪いのに。それに台詞なんて覚えられるのか?俺」 「ああ。そうだよね。苦労した」 「ちゃんとやれてる?」 「あのさ。もしかして、映画のポスターに載るようなスターを想像してる?」 「うーん。どうかな」 「あはは。そんなんじゃないよ。売れない舞台役者」 「へえ」 「テレビにも、映画にも出たことはあるけどね。飲み屋の客。死体。暴力団の組員」 「食べていけてんの?」 「ああ。主な収入は、清掃」 「へえ」 「食べてはいけてるよ、一人もんだし。もしかして、同情してる?」 「いや。そういうわけじゃ」 「これで、好きなことはできてるんだ。不器用な僕でも、どうにか役ももらえて。喝采を受けて」 「へえ」 「あのさ。俳優になりたがってたよね、いっとき。忘れてる?」 「ああ。なんか憧れてたような。かっこいいことがしたかったんだろうね。忘れてた」 「ははは」 「それにしても、きっかけは?」 「あ。それね」
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