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旅人①
「ホント?いじめとかじゃない?」
「うん。担任の先生がわざわざ電話してきたんだから。違いますからって。いじめみたいなものじゃありませんって。体育の女の先生が電話替わって、すいません。これから、気をつけますって」
「そっか。なら、大丈夫なんだろうけど」
親と言うものは、子供のことをどこまでも心配するものなのだ。
今日、中一の娘のまりもが、眼鏡の片側の玉を割って帰ってきた。家内がパートから戻ってくるなり担任の先生から電話があって、その事情を話してくれたらしい。
「体育の時間。大縄跳びでね、順番に飛んでたんだって。で、ほら、飛ぶタイミング。飛ぶのを躊躇してる時に、縄がまりもの眼鏡だけを、ばしって叩き落としちゃった」
ああ?あ。
あ。成程。
「しかし、どんくさくないか?それ。こないだだって」
一学期にも、まりもは眼鏡を壊している。やっぱり体育の時間。
まりもは、バレーボールの授業で、相手のスパイクをまともに顔に受けて、やっぱり眼鏡を落とした。落としたついでに慌てて眼鏡を踏んずけてしまい、玉を割って帰ってきたのだ。
「しょうがないじゃない。うちには優れた運動神経の遺伝子は全くない」
「それにしてもな」
「スパイク打った相手の子の方が可哀そうだったよ。わざわざ謝りに来てさ。泣いちゃって。いいのにさ。悪くないのに。眼鏡だって、まだ保証期間中だったし」
「うん。ところで、まりもは?」
「自分の部屋。また、壁のやもりと会話してるんじゃない?」
独り言が多いのは、俺に似たのかもな。
俺は、煙草とライター、携帯灰皿を持って、台所の横の勝手口から外に出た。
夜の7時過ぎ。9月初旬とはいえ外はもう暗い。
用もないのに外にはなるべく出たくないけれど、この北側のドアの外は、誰の目にもつかない、湿っぽい塀の裏。俺は、家の壁に寄りかかって、煙草に火をつけた。
3年前。
その日の朝、俺は、職場に向かってバイクに乗っていたのだ。
職場へは、県立高校のある県道の前を通る。
車道を走っていると、あれ?赤い二本線の入ったエンジのジャージを着た女の子。カバンをしょって高校の方へ歩いている後ろ姿が歩道にあった。
俺が違和感を感じたのは、その時間が高校の登校時間には、まだ大分早いだろうということと、もう一つ。そのジャージが、女の子の歩く方向とはまるで違う、近所の中学のモノに見えたから。
おかしいな。
通り過ぎる時に、思わずその顔を覗き込むと、その女の子と真正面から目が合った。
ヤバい。
このタイミング。経験上、いいことは起こらない。俺は凶相だ。
シチュエーションとしては最悪。やっぱりだ。女の子は一瞬で怯えた表情になったのだ。
翌朝から三日続けて、俺と女の子の目が合った場所、それから高校の校門の前には、先生らしいスーツの男が立った。女の子と目があった場所に立った壮年の男は、カメラを首からぶら下げていた。そしてあろうことか、俺は、三日続けてそいつにカメラを向けられたのだ。
不審者だと思われてるのは、間違いない。
何もしてないのに。何も企んでいないのに。
俺は、通勤経路を変えた。
でも、女子高校生をおっかない目で凝視する、怪しい男の噂がここらで広がらないとは限らないのだ。
だから、娘の元気がないときは、学校で何かあったのではないか、そしてそれが、父である俺のことが原因なのではないかと、いつも考える。そんな噂が原因でいじめられているとすれば、それはあまりにもあまりな事態だ。
俺は、神経質になっているのだ。
被害妄想かもしれない。
それを知ってか知らずか、学校で起こったなにかを隠しているのかいないのか、まりもは、飄々と学校に行き、部活はやらず、どこにも寄らず帰宅し、今日も自分の部屋に現れるいつものヤモリと会話している。
俺は二本目の煙草に火をつけた。
すると、ライターの明かりで、背の高い雑草の茂みが縦に切り裂かれたのが目に入った。
そして、切り裂かれた空間の切れ目から、二つの目が、じっとこっちを見ている。凶相。
わ!
一瞬背筋が凍る。
そうか。これがあの日、高校へ向かう女の子が相対した目か。
おっかねえな、たしかに。何か狙われてる感じがする。
まあ、でも、今日も今日とて、こいつはおそらく。
「俺?」
「そう。俺。小川千尋」
「何してる俺?」
「ああ。旅をね、今も続けてる」
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